◆IL DIVO◆ 五線譜でたどる音楽の歴史 N: 16,17世紀のプロテスタント教会音楽

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Music History in Examples. From Antiquity to Johann Sebastian Bach (Otto Hamburg) / Protestant Church Songs of 16c. and 17c.
URL : http://papalin.yas.mu/W711/#M014

  ◇公開日: 2014年3月21日
  ◇演奏時間: 21分41秒
  ◇録音年月: 2014年3月
    上のアルファベットの曲目名をクリックして、
    Papalinの音楽室でお聴き下さい。




オットー・ハンブルク(Otto Hamburg)著による『五線譜でたどる音楽の歴史(Music History in Examples. From Antiquity to Johann Sebastian Bach)』に掲載された楽譜を用いて演奏しています。

【N: 16,17世紀のプロテスタント教会音楽】

60-1. コラール「私の心は乱れている」 / ハンス・レオ・ハスラー
   Choral "Mein G' müt ist mir verwirret" / Hans Leo Haßler (1564-1612)


このような有節形式で簡素な和音様式の歌曲は、17世紀ドイツ社交歌曲の原点とみなすことが出来る。ここの取り上げた曲は、祈り句の恋愛詩(5つの詩節の初めの文字を集めると M-A-R-I-Aとなる)による5声の有節歌曲である。

バッハの有名なコラールが次に登場しますが、これもバッハは引用だったのです。バッハが生まれる121年も前に生まれた作曲家が、この有名なメロディを残したのでした。リズムが一定でなく、バッハが礼拝に集まる一般会衆にも歌えるように配慮したのとは違って、原曲の方が難度の高い作品となっています。



60-2. コラール「ああ、血にぬれ傷ついた御頭よ」 / ヨハン・セバスティアン・バッハ
   Choral "O Haupt voll Blut und Wunden" BWV244 / Johann Sebastian Bach (1685-1750)


プロテスタント・コラール(Choral)は、グレゴリウス聖歌、民謡や芸術歌曲、あるいは前プロテスタント賛美歌の旋律が素材になっていることがよくある。新しい歌詞に合わせて多少作り変えられた旋律は、一般にコントラファクトゥム(cntrafactum, 替え歌)と呼ばれている。例えば譜例60-1の曲の旋律も、様々な宗教的歌詞を付けて歌われた。「どうか願いをかなえて下さい」(Herzlich tut mich verlangen)、「ああ、血に塗れ傷ついた御頭よ」(パウル・ゲルハルト[Paul Gerhardt]作詩、バッハのマタイ受難曲[BWV244]中)、「いかにわれは汝を迎え」(Wie soll Ich dich empfangen, バッハのクリスマス・オラトリオ[BWV248]中)その他、リズムの変化にとんだ恋歌(3/4, 6/8, 2/4拍子)が、荘厳なコラールになっているわけである。

そういう流れだったのですね。最初の原曲をオクターブ上げて恋歌らしく軽やかに演奏し、バッハのこちらの方を8フィート・アンサンブルにしてみたのは正解だったようです。



61-1. コラール・モテット「神が誉められ祝福されますように」 / ルーカス・オジアンダー
   Choral Motet "Gott sei gelobet und gebenedeiet" / Lucas Osiander (1534-1604)

61-2. コラール・リート「神が誉められ祝福されますように」 / バルタザール・レジナリウス
   Choral Lied "Gott sei gelobet und gebenedeiet" / Balthasar Resinarius (c1485-1544)


以上の2曲は、コラール旋律の2通りの編曲法を示している。最初期のコラール編曲家であったレジナリウス(彼の作品は印刷出版業者ラウ[Rhaw]の依頼による)の場合、主題は主として模倣的に取り扱われているが、このような作風のものは一般にコラール・モテットと呼ばれる。一方、あくまで全信徒によるコラールの一斉唱を、神を讃える歌にふさわしいと考えていたオジアンダーの場合は、ホモフォニックな4声の曲の上声にテーマが置かれている。このような和音的形態のものは、コラール・リートと呼ばれる。

現代の日本のプロテスタント系の曲界で歌われる聖歌は、オジアンダーの例のような縦の線がはっきりと揃ったホモフォニックなものが多いように思います。練習なしに会衆が聖歌を歌うには、ポリフォニックで難しいコラール・モテット(後者)よりもこちらの方がふさわしいでしょう。



62. リート・モテット「世の船はかくも定めなく」 / レオンハルト・レヒナー
   Lied Motet "Weil dann so unstet" / Leonhard Lechner (c1553-1606)


レヒナーは、シュッツ以前のプロテスタント教会音楽を代表する作曲家であった。ラッソの弟子としてネーデルランドの対位法に精通し、また当時の「新しい」様式(ヴィッラネッラ、カンツォーナ)にも関心を持っていた彼は、無類の作風を打ち立てている。ここに取り上げた彼のリート・モテットは、レヒナーの没年に出版された曲集中のものである。この曲集は、出版業者によって『生と死に関するドイツ格言集』(Deutsche Sprüche von Leben unt Tod)と題されている。この曲特有の大きな表現力によって、歌詞に対するレヒナーの感動的な関わり合いがはっきり現れている。

リチェルカーレやフーガのような教会音楽です。ニ短調の曲ですが、最後はニ長調の主和音で終わるところもいいですね。



63. 詩篇 第8番「ああ、私どもの神」 / クロード・グディメル
   Psalm 8 "O notre Dieu" / Claude Goudimel (c1514-1572)


1564年、フランスの作曲家グディメルがいわゆるジュネーヴ(ユグノー)詩篇全部を4声用に編曲した賛美歌集(フランス語の歌詞は、マロとベーズにより、旋律は一部分は作者不詳、一部分はブルジョワ[Bourgeois]作曲)が出版された。カルヴァンは、教会ではモノフォニーの詩篇歌唱しか認めていなかったが、家庭内での集いその他の私的集会では、ポリフォニーで詩篇を歌うことも許されていた。ここに取り上げた「ああ、私どもの神」は、極めて簡素な4声の曲で、ブルジョワの詩篇旋律が最上声に置かれている。このような詩篇曲は、結局、改革派教会の礼拝式でも使用されるようになったが、歌詞は様々な言葉に翻訳された。最初のドイツ語版は、1573年、ライプツィヒでロープヴァッサー(Lobwasser)によって出版された。

確かに、極めて簡素な4声の作品です。楽譜は全音符と2分音符だけで書かれ、所どころで2つの声部が同じ音になる曲です。それだけユニゾンが多いということですので、簡素な曲ですけれど、唸りなく演奏することはそう容易なことではないですね。



64. 詩篇 第90番「主よ、あなたはいつの世にも」 / ヤン・ピーテルスゾーン・スウェーリンク
   Psalm 90 "Tu as esté, Seigneur" / Jan Pieterszoon Sweelinck (1562-1621)


カルヴァン派の詩篇には、一つ前の譜例63で示したホモフォニー様式の曲の他に、ポリフォニー様式の曲も用いられた。アムステルダムの「古教会」(Oude Kerk)のオルガニストであったスウェーリンクは、詩篇全150篇をポリフォニー様式で4~8声の曲にしたが、その際に彼がテキストとして使用した詩篇集も、やはりマロとブルジョワによるフランス語版であった。ここに取り上げた4声の曲では、原旋律はソプラノに長い音符で、またリズムを変えて他の全声部に出てくる。

ある旋律があって、それを題材に加工して曲に仕立てるという、ヨーロッパ中世からのやり方を踏襲していると言ってしまえばそれまでですが、どう加工するかが作曲家として、音楽家としての力量を示すところです。すべての詩篇を編曲したというその行動力といいますか、凝りようは、誰かに似ています。


65. モテット「主において死ぬ者は」 / ハインリヒ・シュッツ
   Motet "Selig sind die Toten" SWV391 / Heinrich Schütz (1585-1672)

65. モテット「主において死ぬ者は」 / ハインリヒ・シュッツ 【男声合唱】
   Motet "Selig sind die Toten" SWV391 / Heinrich Schütz (1585-1672) [Male Chorus]


ヨハネ黙示録を歌詞として使用したこの6声のモテットは、5~7声のモテット29曲から成る曲集『宗教合唱曲集』(Geistliche Chormusik, 1648年、作品11としてドレースデンで出版)に出てくる。このモテット集では、シュッツは意識的に古いモテット様式に立ち戻った。序文の中で、彼は通奏低音方式だけでしか訓練られていない若い作曲家たちの技能の不足を嘆いている。

何と美しい曲でしょう。ホモフォニックの美しさと模倣様式と言えるポリフォニックな響きを織り交ぜ、更に6声という多声での作品が何とも心地よいです。ということで、混声合唱は無理ですけれども、男声合唱で合唱歌ってみたくなりますよね。



66. 「マタイ受難曲」から 《抜粋》 / ハインリヒ・シュッツ 【男声合唱】
   Matthäus-Passion SWV479 / Heinrich Schütz (1585-1672) [Male Chorus]


ルターは、自分の制定したドイツ語による礼拝式でも、ローマ・カトリック教会で発達したキリスト受難物語の携帯 --- 独唱者たちと合唱による --- をそのまま踏襲した。シュッツも、その形態でルカ、ヨハネ、マタイの3つの受難曲を作曲している。だからシュッツは、次のような部分でも器楽の伴奏を付けず、人声しか用いていない。
 a) 福音伝道者、イエス、ユダ、ペテロその他、個々の人物は叙唱。
 b) 使徒たち、祭司長たち、ユダヤ人たち、その他の軍は4声合唱曲
器楽の序奏も後奏もないわけだが、「イントロイトゥス」(introitus)と題されている序の合唱がいわば結びの役割を果し、「コンクルージオ」(conclusio)と題されている最後の合唱がいわば結びの役割を果している。叙唱は、型にはまった方式で聖書の章句を読誦するのではなく、一つひとつの言葉を音楽的に適切に表現している。マタイ受難曲には2声だけの部分「2人の偽証」(zween falschen Zeugen, 第1と第2テノール)もある。本書では独唱の叙唱の部分と合唱によるポリフォニーの部分を取り上げた。受難曲に満たれる客観性と飾り気のない壮大さは、40年前に作曲された5声部の連作モテット『聖カンツィオ集』(Cantiones sacrae)中の「貴方はなにを犯したのか、美しい若者よ」(Quid commisisti)[SWV56]の劇的興奮とは著しく異なっている。

この譜例の曲をどう演奏したものか、悩みました。こうした曲集を最初の曲から片っ端から演奏している中で、「これは飛ばします」とは言えませんし、いつものようにリコーダーで演奏しても、雰囲気はでないことはわかっています。ならば歌うしかない…ということで、歌いました。ユダの裏切りの名高い場面の音楽なので、歌詞がないと何やらさっぱりわからんということになりましょうから、歌詞を載せます。

ちなみに、ソロを歌う登場人物は3人です。向かって左から聴こえてくるのが福音書記者(Evangelist)、右がイエス(Jesus)、そして中央がユダ(Judas)です。合唱はイエスの弟子たち(Jesu' Apostles)です。

福音書記者はバリトン、イエスはバス、裏切り者のユダはテノール。まぁそうなんでしょうね。(^_^;)


 EVANGELIST:
   Da ging hin der Zwöfen einer mit Namen Judas Ischarioth zu den Hohenpriestern und sprach:

 JUDAS:
   Was wollt ihr mir geben? Ich will ihn euch verraten.

 EVANGELIST:
   Und sie boten ihm dreißig Silberlinge. Und von dem an suchte er Gelegenheit, daß er ihn verriete.

 JESU' APOSTLRS:
   Wo willst du, daß wir dir bereiten, das Oster lamm zu essen?

 EVANGELIST:
   Er sprach:

 JESUS:
   Gehet hin in die Stadt zu einem und sprecht zu ihm: Der Meister läßt dir sagen: Meine Zeit ist
   hier, ich will bei dir die Ostern halten mit meinen Jüngern.

 EVANGELIST:
   Und die Jünger täten, wie ihnen Jesus befohlen hatte, und bereiteten das Osterlamm.
   Und am Abend satzte er sich zu Tische mit den Zwölfen. Und da sie asen, sprach er:

 JESUS:
   Wahrlich, ich sage euch: Einer unter euch wird mich verraten.

 EVANGELIST:
   Und sie wurden sehr betrübt und huben an, ein jeglicher unter ihnen, und sagten zu ihm:

 JESU' APOSTLRS:
   Herr bin ichs?

 EVANGELIST:
   Er antesortete und sprach:

 JESUS:
   Der mit der Hand mit mir in die Schüssel tauchet, der wird mich verraten. Des Menschen Sohn
   gehet zwar dahin, wie von ihm geschrieben stehet; doch wehe dem Menschen, durch welchen des
   Menschen Sohn verraten wird! Es wäre ihm besser, daß derselbige Mensch noch nie geboren wäre.

 EVANGELIST:
   Da antwortete Judas, der ihn verriet ,und sprach:

 JUDAS:
   Bin ichs, Rabbi?

 EVANGELIST:
   Er sprach zu ihm:

 JESUS:
   Du sagests.



    福音書記者:
      その頃、12人の一人でイスカリオテのユダという者が祭司長らのところへ行き、言った。

    ユダ:
      私に何を下さいますか? 私はあの男をあなたがたに引き渡すつもりです。

    福音書記者:
      そこで、彼らは銀貨30枚を差し出したので、そのときから、ユダはイエスを引き渡す良い機会を
      ねらっていた。さて、除酵祭の1日目に、弟子たちがイエスの許に来て言った。

    イエスの弟子たち
      過越の子羊を召し上るための用意をどこにしたら宜しいでしょうか?

    福音書記者:
      イエスは言われた。

    イエス:
      町のあの人のところに行ってこう言いなさい。「先生が、『わたしの時は近づいた。
      あなたの所で弟子たちと一緒に過越の食事をしたい』と言っておられます」と。

    福音書記者:
      そこで弟子たちは、イエスに命じられた通りにして、過越の食事を準備した。夕方イエスは
      12人の弟子たちと一緒に食卓お付きになり、皆が食事をしているときに言われた。

    イエス:
      まさに言っておこう。君らのうちの一人が私を裏切るだろう。

    福音書記者:
      すると弟子たちは非常に心を痛めて、代わる代わる言い始めた。

    イエスの弟子たち:
      主よ、私のことですか? 手よ、まさか私のことでは?

    福音書記者:
      イエスは答えて言われた。

    イエス:
      わたしと一緒に皿に手をつけるのが、私を裏切るものだ。人の子は、自分について記されている
      通りに去って行くが、人の子を裏切るその者は哀れだ。その人は生まれない方が良かったのだ。

    福音書記者:
      その時、イエスを裏切ったユダが口をはさんで言った。

    ユダ:
      ラビ(先生)、それは私ですか?

    福音書記者:
      イエスは言われた。

    イエス:
      君の言う通りだ。



使用楽器

   ソプラニーノ      キュング         ローズウッド
   ソプラノ         モーレンハウエル   キンゼカー
   アルト          モーレンハウエル   キンゼカー
   テナー          モーレンハウエル    キンゼカー
   バス           モーレンハウエル   キンゼカー
   バス           ヤマハ          メイプル
   グレートバス      キュング         メイプル
   コントラバス       キュング         メイプル



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