◆IL DIVO◆ 五線譜でたどる音楽の歴史 L: 16世紀のヴェネツィア楽派

≪毎日がコンサート本番!≫

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Music History in Examples. From Antiquity to Johann Sebastian Bach (Otto Hamburg) / Venetian School of 16c.
URL : http://papalin.yas.mu/W711/#M012

  ◇公開日: 2014年3月19日
  ◇演奏時間: 14分10秒
  ◇録音年月: 2014年3月
    上のアルファベットの曲目名をクリックして、
    Papalinの音楽室でお聴き下さい。




オットー・ハンブルク(Otto Hamburg)著による『五線譜でたどる音楽の歴史(Music History in Examples. From Antiquity to Johann Sebastian Bach)』に掲載された楽譜を用いて演奏しています。

【L: 16世紀のヴェネツィア楽派】

46. モテット「天におられる私どもの父」/ アードリアーン・ウィラールト
   Motet "Pater noster" / Adrian Willaert (1480/90-1562)


ブリュージュ出身のウィラールトは、1522年からフェルラーラとミラーノでエステ家に仕え、1527年からはヴェネツィアのサン・マルコ大聖堂の楽長を勤め、いわゆるヴェネツィア楽派の創始者となった。彼は高い回廊に向かい合って配置された2つのオルガン席に着想を得て、2軍の聖歌隊のためにポリフォニーを作曲することを考えた(この種の発想は彼以前からあったとする説もある)。彼の弟子や後継者たちは、この例に倣った(譜例47参照)。ウィラールトが2軍の聖歌隊を使用したのはほんの時折のことであって、彼自身は主として4声の曲を作曲した。彼の作品の中でことに重要なのはモテットである。ここに取り上げたモテットでは、グレゴリウス聖歌「天におられる私どもの父」の旋律がディスカント声部に素材として用いられている。注目に価するのは、"sed libera nos a malo"という歌詞を歌うホモフォニックな部分が、先行するポリフォニックな声部運用とは対照的になって、印象深く曲を締めくくっていることである。このモテットは、以前にオブレヒトの作とされていた。ウィラールトの弟子ツァルリーノ(Zarlino)の対位法教則本「音楽論」(Institutioni harmonische, 1558)には、イタリアにとどまらず、広く異国にも名をはせていた比類ない大家の得意な作曲技法が書き留められている。

この曲はサン・マルコ大聖堂内の相対する位置に聖歌隊を配しての2重合唱曲ではありませんけれど、荘厳なあの大聖堂にこのモテットが響き渡ったらさぞ厳かな気持ちになる事でしょう。音域的にはちょっと頑張れば歌えたかも知れないと、やや後悔しています。まぁまたいつの日にか。


47. モテット「ああ、おおきな奇蹟」/ ジョヴァンニ・ガブリエーリ
   Motet "O magnum mysterium" / Giovanni Gabrieli (1554/57-1645/13)


ジョヴァンニ・ガビリエーリは、ヴェネツィアで叔父アンドレーア・ガビリエーリ(Andrea Gabrieli)に学び、さらにミュンヘンでラッソにも学んだと思われるが、1584年にサン・マルコ大聖堂のオルガニストとなった。こうしていわばヴェネツィア楽派の遺産の真只中に身を置いた彼は、ヴェネツィア楽派の守護者または完成者として、有力な代表者となり、次の世代の人たち(チュッツ、ハスラーその他)の師となった。ここに取り上げた「ああ、大きな奇蹟」は、先に触れた2重合唱の技法を示す例であり、実質的にはホモフォニックに作曲されている。コーリ・スペッツァティ(cori spezzati, 分割合唱)と称する別々の場所に配置された声楽群、器楽群あるいは声楽・器楽混声群が、いわば交唱の場合のように早退して音楽を作り上げたのである。ガブリエーリは、的確な「音響効果」を得るために、音色の配合に細心の注意を払った。

2重合唱のヒントがサン・マルコ大聖堂内の2台のオルガンが向かい合って設置されていたことにあったのは疑う余地はありませんが、こうしたやり取りを前提とした音楽は、古くからキリスト教典礼の中に交唱として存在していました。誰が気づいてもおかしくなかったのでしょうけれど、あの大きなサン・マルコ聖堂が、そういう作品の演奏効果を高めたのであろうことは容易に想像がつきます。やがてここからバロック音楽が芽生えるのですが、ヨーロッパの音楽を牽引するような位置にいたのがヴェネツィア楽派であり、その音楽だったのでしょう。演奏はかつてのものを流用しています。



48. マドリガーレの発展
   The Development of the Madrigale

  48-1. マドリガーレ「ああ、愛の神様」/ ドメーニコ・フェラボスコ
     Madrigale "Deh fer' Amor" / Domenico Ferrabosco (1513-1574)

  48-2. マドリガーレ「ああ、愛が私を傷つけに来た日」/ チプリアーノ・デ・ローレ
     Madrigale "Lasso che mal accorto" / Cipriano de Rore (1516-1565)

  48-3. マドリガーレ「私を悩ますのをやめておくれ」/ ジェズアルド・ダ・ヴェノーサ
     Madrigale "Resta di darmi noia" / Gesualdo da Venosa (1560-1613)


これら3今日は、16世紀マドリガーレの発展をたどるものである。16世紀のマドリガーレは、アルス・ノーヴァのマドリガーレとは何の関わりもなく、もともとそれはベンボ(Bembo, 1470-1547)枢機卿を中心とする人文主義者たちの間で生じた文学上の所産であった。初め4声部、後には5声部のものが普通であるが、その歌詞は概して自由な形態の世俗詩である。1540年前後、既存の音楽の表現手段が次のような点で拡大された。
 1.調性、音域、それに作曲様式の慎重な選択
 2.谺(こだま)の効果
 3.洗練された歌詞の内容
 4.聴覚的ばかりでなく、視覚的な音画法(黒色音符と白色音符の使い分け)
 5.リズムの活発化(セミミニマの使用や、ヘミオーラの形成)
 6.半音階法
新しい和声法による音楽は、タッソの友人であった「もっとも大胆な半音階主義者」ジェズアルドによって最高の段階に到達した。

とうとう登場しましたね、私の大好きなジェズアルド。バッハ以前の音楽の楽譜を紹介する著書に堂々と登場して嬉しく思います。と言いながら、演奏は以前のものを流用しました。この時代に音楽が、まるで水墨画が西洋の油絵に変わったかのような、大きな変遷を遂げたのですね。ジェズアルドにしても、ある日突然こうした作曲家が現われたのではないのですから、そのプロセスをもう少し詳しく知りたいところです。



使用楽器

   ソプラニーノ      キュング         ローズウッド
   ソプラノ         モーレンハウエル   キンゼカー
   アルト          モーレンハウエル   キンゼカー
   テナー          モーレンハウエル    キンゼカー
   バス           モーレンハウエル   キンゼカー
   バス           ヤマハ          メイプル
   グレートバス      キュング         メイプル
   コントラバス       キュング         メイプル



Papalinの多重録音で、お聴き下さい。m(_ _)m


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