楽譜のはなし 1

セイキロスの墓碑銘に刻まれた楽譜には「音の長さ」は示されていないと勘違いしていました!

その証拠に、以前のブログは思い込みのままウソを書いていました。このギリシヤ時代の楽譜が、"「音の長さ」を示していない初期のネウマ譜"の元になったんだ・・・と早合点をしてしまったのですね。しかし後になって、この2000年も前の楽譜には「音の高さ」(音程)と同時に「音の長さ」(音価)も表されていたのだということを知ったときに、私の中には同時に新たな疑問が生じました。

『2000年前のギリシヤ時代の楽譜には、音の高さも、音の長さも明示されているのに、ローマ時代以降になると、楽譜から「音の長さ」が消えてしまったのは何故だろう? これは退行ではないか?』


私が勉強不足だったからなのですが、西洋音楽史の本をあさって読んでみましたら、そのことがスッキリと腑(譜)に落ちました。そこら辺をaostaのブログのある記事のコメント欄に書いたのですが、折角なのでこちらにも記載しておきたいと思います。コメントのやり取りからの抜粋です。


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【 我が家のレコーディング・スタジオ 通称:録音部屋&パソコン部屋 】



Aさん: 古代の文字譜、どのようにして解読したのか興味深いです。五線譜だって、初めて見る人には意味不明でしょうから。


aosta: >古代の文字譜、どのようにして解読したのか・・・

そうそう!ここなんですよね。
文字と記号をどのように読み説いてどのように再現したのか、考えただけで胸が躍ります。すべての芸術が理想的な形で完成された古代ギリシャに洗練された形の音楽があったであろうことを想像するのは容易です。しかしながら、時間芸術である音楽の哀しさ、その再現が困難であったであろうことも充分に理解できます。
まずは、残された壁画や壺などに描かれている楽器の復元から始まったのでしょうか。


Aさん: ある時代のギリシアでは、音程の高低を現代と逆の言葉で表していた、と読んだことがあります。ピアノの鍵盤の右の方を低い音、左の方を高い音と呼んだとか。高い低いは地球の重心との位置関係を表すのが元の意味ですから、比喩表現なわけですが、比喩の向きが反対なのですね。


aosta: >音程の高低を現代と逆の言葉で表していた

ということは・・・
ギリシャの時代、高い音を「低い」、低い音を「高い」と呼んでいたと言う事なのですね。
比喩表現にしても、一瞬頭が混乱しました。 (^^ゞ


Papalin: >古代の文字譜、どのようにして解読したのか興味深いです。

Aさんのご質問の答えにはならないかも知れませんが、ギリシヤの"楽譜"は比較的容易に想像がつきます。ます音の高さはギリシア文字(ABCのようなもの)で表されます。音の長さは、これらのギリシア文字の上に記号として表されます。楽譜としては、これらの下に歌詞も添えられました。

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【 ギリシヤ時代の楽譜 (セイキロスの墓碑銘) 】


ギリシヤ時代には、こんな素晴しい記譜法があったのに、なぜローマ時代以降、千年もの間この文化が絶え、稚拙なネウマ譜しか登場しなかったのか。その理由は歴史(政治史)にありました。それはまたの機会に。


aosta: 音の「高さ」と「長さ」。このどちらが欠けても楽譜として充分とは言えないと私も思います。ネウマ譜に長さの表示がなかったと言う事は、今まで知りませんでした。
音の長さが指定されない楽譜をどのように演奏していたのかしら。
この時代はまだ耳で聞きながら、というか、楽譜はあってもそれを補う意味での口伝のような形が残されていたのかしら、とも思います。ネウマ譜といって思いだすのは教会音楽ですが、事実がどうであったかはともかくチャントなどの口伝はあり得たかな、と勝手に想像しました。


Papalin: 乗りかかった船で、ローマ以降の記譜についても書きましょうか。

初期のネウマ譜に、音の長さが記されていないことは、現代人である私たちにとっても、当時の演奏を再現(演奏)する際に厄介なことなのです。"初期の"と書いたのは、ネウマ譜自体も発展を重ね、白符や黒譜と呼ばれる計量記譜法が用いられるようになると、音の長さも後の世の人が"類推"することなしに明確化されました。逆にもっと初期のネウマ譜は、横線すらなく、音の長さだけでなく、音の高さも明示されませんでした。ではなぜギリシヤ時代に"音の高さ"と"音の長さ"が表記された文化文明が逆行の一途を辿ることになったのか? という疑問が生まれます。

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【 初期の線が一本のネウマ譜 】


下のURLは、記譜に関する歴史とその発展が詳しく記載されています。全部読むのは大変ですが、以下、私が書く点以外の行間を埋めて下さるサイトとしてご紹介します。

   http://www.coollab.jp/Framethesis.html

結論です。ローマの指導者たち、あるいはローマ帝国が崩壊した後の各国の指導者たちにとって、こうしたギリシヤ時代の記譜(法)は必要ないと判断されたからです。もっと言うなら"記譜"自体が不必要であったということです。

巨大なローマ帝国が崩壊して、現在の欧州各国の元となるような国がいくつも誕生した時代は、国民主義や国粋主義と似ていて、自国の文化を育て伝えて行こうとした時代です。その中で、ギリシヤの文明文化の所産物も取捨選択が行なわれました。それらを残したのは、キリスト教の教会、しかも大きな教会でした。彼らが残そうと考えたものは、文学作品など僅かなものであったそうで、音楽に関しては対象外となってしまったようです。初期のキリスト教の時代は、人の心を惑わすような音楽は粗悪なものとして認識されたためもあるようですね。

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つまり、この段階でギリシヤの優れた記譜法が葬られました。一方のキリスト教においては、aostaが書いたように、教会の中で厳かに歌われる(音のついた祈りの言葉と言った方が正確ですが)ものを口伝以外の方法で伝える必要性を感じていませんでした。ところがやがて、キリスト教の祈りの仕方が各国各地で異なることに疑問を感じ、ミサや聖務日課を統一していき始めます。その過程において、口伝によらない"記譜"が必要になりました。残念ながらギリシヤの進んだ記譜法は知らず、上記の目的を満たすものがあれば良いという実情だったようです。私は初期のネウマ譜は、この目的をも満たすものではないように感じますが、おそらく口伝と共に用いられた"参考資料"のようなものだったのではないでしょうか。

中世のヨーロッパにおいても、当然のことながら音楽は教会内だけに留まるものではありませんでしたが、教会以外で歌われ奏される音楽は、記譜として残す必要がなかったようで、当時の世俗音楽がどのようなものであったかを知ることは出来ません。せいぜいギリシヤから千年ものちの吟遊詩人の歌を知るのが精一杯です。

こうしたローマがもたらした記譜に関する歴史ですが、グレゴリオ聖歌のような単旋律の音楽から多声音楽に発展してくると、複数の人が別々のパートを演奏(または歌唱)することとなり、夫々の演奏者が"合わせて"演奏する必要性が出てきます。となると、音の高さだけではなく、音の長さに関しても、きちんとした取り決めが必要になったというのも頷けますでしょう。

蛇足ですが、現代では例えば弦楽四重奏曲などではスコアで書かれていますが、当時は現代で言うところのパート譜のように、各々の声部を独立して記譜していました。今は当たり前のように見る記譜法ですが、スコアの登場も、音楽史上においては重要な発見だったと思いますし、スコアのない時代の演奏者たちを、通奏低音だけで鍵盤楽器を弾いた演奏者と同じくらい尊敬してしまいます。



途中随分と端折って書きましたが、このお話以降の楽譜に関しても、私にはいくつかの疑問があります。
それらの疑問に関しても、スッと腑に落ちるときが来ましたら、またどこかで書かせて戴きましょう。(^-^ )


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