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zoom RSS ◆IL DIVO◆ 幸いなるかな、死人のうち、主にありて死ぬるものは (ドイツ・レクイエム)

<<   作成日時 : 2010/08/13 23:45   >>

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≪生演奏を公開しています≫

画像
Selig sind die Toten, die in dem Herren sterben
URL : http://papalin.yas.mu/W508/

  ◇公開日: 2010年8月13日
  ◇演奏時間: 9分38秒
  ◆録音日: 2010年8月 (49歳)
   上のアルファベットの曲目名を
    クリックして、Papalinの音楽サイト
    からお聴き下さい。(視聴?・試聴?)



全曲の演奏が終了しました。
ちょっとした充実感に浸っております。

ブラームスのドイツ語によるレクイエムが
型破りだったと先に書きましたが、
先駆者がいたようです。シュッツ。
ブラームスも尊敬していたようですね。


さて、ラテン語による"正式な"レクイエムですと、固定的なテキストに基づいて、最後の審判でラッパが鳴りひびくとか、恐怖とも言える畏れの音楽が表現されますが、このドイツ・レクイエムには、それがありません。ブラームスは"ドイツ・レクイエム"という名を自分でつけていますが、この曲をブレーメンの大寺院で初演するにあたっては、関係者の間で様々な危惧があったようです。結局、ヘンデルのメサイアからソプラノのアリアを途中に挟んで演奏することで、折り合いをつけたようです。その時の指揮者はブラームス自身ではなかったのですが、その指揮者(ラインターラー)もそうした懸念をブラームスに伝えて初演できるための策を一緒に練っていたようです。そのやり取りの中に、非常に興味深いブラームスの発言が、書簡に残っています。二つ引用します。

指揮者ラインラーターはブラームスに、深い信仰内容と救済の思想という点で作品の拡張を望みました。せめて"愛される神"とか"神のこの世への愛"とかに関係した文(聖書の句)でも挿入してくれないかと。それに対するブラームスの返事に、私はいたく共鳴しました。ブラームスはきっと、当時の民衆の考えより、はるか先に及んでいたものと思うのです。ラインラーターの助言を拒否した返答です。

『神は超人間的で巨大であり、把握できないものとして、芸術の対象にはならない。』

もう一つは、"ドイツ"というタイトルに関してです。このドイツという言葉が具体的に何を意味するかについては、いろんな解釈がされてきたようです。ドイツ語の歌詞をもつということ、ゲルマン民族としてのドイツ人的なもの、すなわちドイツ人のためのレクイエムだとする考え方。しかしブラームスはラインラーターに宛てた書簡の中で、ブラームス自身が考えていたことは、次の文章から推し測ることができると思います。

『私は喜んで、"ドイツ"という語を除き、簡単に"人間"という語に置き換えたいと公言してもいい。』

蛇足ですが、ブラームスのドイツ・レクイエムに、ソプラノ独唱の曲が一曲だけある(第5番)のは、初演のときに挟み込んだヘンデルのソプアノのアリア(歌手はヨアヒム夫人だった)がブラームスの心に残っていたからではないかと言われています。恩師からの勧めもあったようですが、第5曲は、すでにドイツ・レクイエムを披露した後から付け加えられています。



さて、最終曲である第7曲について書きます。

楽譜には「荘重に」と記されいまして、まさにそうした感じの曲です。レクイエムは死者に対する救済の祈りとするのは
一般的ですが、ブラームスは、残されたものに対する慰めをより重要視したのではないかと思います。生きとし生けるものの死に対する恐怖心を取り除き、人間としての事を成し遂げた上での死を、平安のうちに歌っています。そうした曲の作り方は、先に録音したフォーレのレクイエムにも共通点が見出せますね。

それから、この第7曲(終曲)では、結尾に第1番のテーマが登場し、第1番と全く同じ終わり方をします。これは、やはり先に録音したモーツァルトのレクイエムも同じです。モーツァルトの場合は、最後まで彼自身が作曲してはいないのですが、弟子のジュースマイヤーが、こうした手法でモーツァルトのレクイエムを完成させたことは賞賛に値します。

モーツァルトの最終曲は非常にアップテンポの曲ですので、こうした感覚は生まれなかったのですが、このブラームスの終曲を歌っているときに、『ああ、懐かしいなぁ。人間はこうして世に生を受け、命を閉じていくときも、それまでの何十年の間には何事もなかったかのように、自然と自然に戻っていくんだなぁ。安らぎとはこのことなのかも知れない。』と感じたのです。既に耳にした音楽(第1番)を終曲に再び登場させて曲を閉じることは一つの慣例だったのかも知れませんが、それ以上に、ブラームスの優しさを感じた時を過ごすことになりました。演奏者のPapalinとしては、最後までリコーダー四重奏に拘りました。最後の音を、どの4つの音で締め括るか、それも課題の一つでした。第1番の最終音と変えてみたのは意識的に行なったものです。それと、独唱合唱における女声パートは全てオクターブ下の男声で歌っていますが、この最終曲のある箇所(2箇所)だけは、アルトが実音で歌っています。そうせざるを得ない場面でした。ご容赦下さい。


そうそう、一つ書き忘れていました。

ソプラノ独唱が入る第5番が最後に追加され、全曲として初演されたのは、1869年 2月18日だったようです。





伴奏楽器

    ソプラノ      モーレンハウエル  グラナディラ
    アルト       メック       黒檀
    テナー       メック       柘植
    バス        メック       楓
    グレートバス    キュング      楓
    コントラバス    キュング      楓





大勢のPapalinたちによる多重録音にて、お聴き下さい。 <(_ _)>



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