《本のレビュー》 『バッハの音符たち』 池辺晋一郎 著

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この本、すげ~ですぜ。

オペラ座の怪人を演奏しながら、並行して読んでいた本のレビューっす。

バッハがどれだけ魅力的なのか。
バッハがどれだけ偉業をなしたのか。
バッハがどれだけ先進的だったのか。
バッハが何に感心を持っていたのか。
バッハがどれだけ敬虔だったのか。

そういうことを知ることができるんだ。

池辺さんが雑誌に連載した記事を本にまとめた・・・そういう本。
だから、連載時に読むのとは違って、こうして一冊の本になってから通して読むときに、毎回うさんくさいなぁと思うことは差っ引いて考えるとしても、池辺さんがバッハをどう分析しているのかは充分にわかる。

でもって、約1年振りのブックレビューは、この本の内容に関してではないんだな。へぇ~とか、なるほど~とか思ったことはいくつもあったことを断わった上で書くのは、この本を読んで、僕が連想したこと。(^-^ )


【まずはバッハに】

バッハの音楽が、学術的に(音楽学的に)優れたものだったか。
バッハがいかに先進的なことを音楽に施したかったか。

それは充分に伝わった。
でも、僕が感じたことは・・・。

それって、Product outじゃん! Market inじゃないよね。
楽譜に隠した"技術"や"技法"を、仮に君の時代の人がわからなくても、
後の世の人が気づいてくれたらいい・・・
そういう考えで楽譜を書いてるよね。曲を作ったんだよね。

たとえば、楽譜を逆さから読んでも音楽になるとか、
逆さから同時に演奏しても、ハーモニーになるとか。

これって曲芸師。
曲芸師を僕は好きだけどね。
あなたが不幸だったのは、自分が曲芸師だと言えなかったことだろうな。
ひょっとしたらあなたを神さまに祀り上げてしまったのは
後世の人たちなのかもしれないけどね。


いろんな技巧を散りばめるなどをしたあなたは、確かに並外れた才能の持ち主。
でもね。そうして計算して作った"音楽そのもの"で勝負しなよ、バッハさん。
計算の凄さは認めようじゃないか。
でも音楽って、感動してなんぼでしょう?

まだこうしたあなたの技巧に関する知識がなかった僕は、その曲自体には感動しなかったよ。それどころかさ。バッハにしては駄作だとなぁと感じたよ。技巧を差っ引いたら、これは何も感動をもたらさない曲。あなたもそう思うだろ? バッハさん。

技巧に感心を寄せるのは、評論家。研究者。
評論家や、あなたが隠した秘密を解き明かした研究者に、
あなたは認められたかったのだろうか?

違うよね。僕はそう信じていたいけどな。

僕は、あなたが自分で作った曲で、あなた自身が素直に素晴しいと思った曲を、色んなところで(カンタータやミサ曲や受難曲や世俗曲に)何度も使いまわしている(パロディともいうのかな?)、そういうあなたが人間的で好きだなぁ。だって、それが音楽だもの。何てったって、それが音楽の本質だもの。


【田舎のプロの音楽家に】

この本に書かれていることをネタに、ステージをこなす人がいた。
ネタの出所も話さず、あたかも自分が感じたかのように話す人がいた。
田舎者の聴衆には、ネタの出所なんてわからないだろうから、何も言わなかった?
そう思っての行為だとしたら、それはさもしい。

ステージでは気づかなかった(知らなかった)人が、後にこの本を読んでいつかそのことに気づいた時のこと・・・、それを考えたらあなたの音楽生命は・・・。何も恐くないのかなぁ。もっとも既にこの本を読んでいた人もいたと思うけどね。その人が、この情報社会で吐いたら・・・。何も恐くないのかなぁ。


【池部さんに】
あなたが教えてくれたこと・・・沢山ある。
あなたがバッハの音楽に感動されたこともわかった。
でも、あなたは本当にバッハの音楽に感動したの?
バッハの技巧や先見性に感動したの?
きっと前者だよね。

だったらもっとはっきり書いてもいいんじゃない?
最初に感動して、調べたらもっと感動して・・・
でもその感動は左脳で感動してたって。
バッハの音楽に感動したのは、そんな知識なんて何もない頃だったって、
はっきり言ったらいいじゃん。もしくはそこに回帰したら格好よかったと思うな。

裏づけしてから感動するのは、
音楽に対するピュアな感動ぢゃないと思うけどな。


Papalin いいたい放題。
音で感動させられる"音楽家"が少ない・・・と思う。

                                  (3月16日 記)



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バッハの音符たち



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この記事へのコメント

ichi
2009年03月17日 00:03
久しぶりに熱く語るPapalinさん、いいですね。
僕は、この本もそうだし、あまりこの手の本を読んだことがありませんので、全く議論にもなりませんが、ちらっと感想を書かせていただきます。
第一にあまり評論家と言われる人種がすきではありません。どちらかというと、好きが高じてここまで集めちゃいました。とかのめりこんでいますとか。好きなものに対する愛情の深さが感じられる人が好きです。音楽と関係ないけど、動物が好きなムツゴウロウさんの動物の話とか、カシオペアの向谷実が語る鉄道の話とか、直接ボクが動物や鉄道に強い関心を持っていなくても、思わず引き込まれてしまう人間の魅力がありますね。
Papalin
2009年03月17日 21:42
◆◆ 評論家と言われる人種がすきでは・・・

ichiさん、ありがとうございます。
僕はハッキリ書きますと、評論家は大嫌いです。いくつかの形容詞や副詞を順繰りに使いまわして、他人のふんどしで相撲をとっている、存在悪だと思っています。自分のことを"評論家"と称したり、書かれて喜んでいるようなやからは、「で、あんた何ができるの?」と言ってやりたいです。
 
まだ吠えてますね。(^_^;)
 
ichi
2009年03月18日 00:49
ちょっとクールダウンする目的で茶化してみます。
確か、Papalinさんは自称「浅田真央評論家」で、「半井ちゃん評論家」であったと記憶しておりますが、その点についてひと言お願いします。
2009年03月19日 05:31
音楽は中世には数学の一分野として考えられていたそうですんね。心に訴える、芸術的としての音楽と、緻密な論理を必要とする数学がどうして結びつくのか、およそ数学的考え方とは無縁な私には理解できない所でもありました。でもよくよく考えてみれば音楽も数学も、ともに「秩序」の上になりたっているんですよね。
その「秩序」は自然の約束に逆らうものではなく、むしろ世界の秘密や人間の秘密を解き明かすときの感動に満ちているような気がします。そしてこの「秘密」はきっと直感でしか到達しえないもののようにも思います。
バッハの音楽も、こうした直感で作られたからこそ感動的なのでしょう。
2009年03月19日 05:31
同時に音楽と数学の親和性に気が付いていたバッハが、数学と音楽を目に見える形で結びつけようと思っても不思議ではない気がします。遊び心もあったでしょうし、十字架型音型の多用とか数字やアルファベットを宗教的象徴として音符に置き換えることで二重、三重の宗教的意味を付加したのかな、とも思うのですが、先に書きましたように完全な数学音痴の私は、そうと知っても「ふ~ん、そうなんだ・・・?」としか言えません。でも、こうしたことを知らなくてもバッハの音楽は魂を揺さぶります。
宗教を超えたところで、聴く人に宗教的敬虔な感情を呼び起こす音楽だと思っています。
私にバッハの「曲芸」の凄さはわかりませんので「技巧的バッハ」も大いなるバッハの一部分、としてしか聴くことができません。やっぱり「数学音痴」なのでしょう(笑)
Papalin
2009年03月19日 06:14
◆◆ その点についてひと言・・・

ichiさん、ありがとうございます。
あはは。
僕の場合は、"評論家"のところを"大ファン"にでも替えて読んで頂ければいいのです。評論で飯を食っている方々(の一部)に牙を剥いてます。
 
Papalin
2009年03月19日 06:25
◆◆ 秘密を解き明かすときの感動・・・

aostaさん、ありがとうございます。
バッハが直感でこうした秘密を埋め込めたなら、それは恐るべき才能かもしれません。

振り返ってみますと、ダヴィンチ・コードなどもそうですが、かつて歴史において超一流の芸術家が、自らの作品の中に"秘密"を隠してきたのは、"超芸術家"のひとつの証しだったのかもしれません。としますとバッハも、既定路線に乗って行動したということになるでしょうか。

僕も IL DIVO Papalin に秘密をいくつか隠しています。つまらないところでは、 Yellow Submarine のカズーとかですが。(^_^;)

でも100年経ってもわからないだろうな。
だから秘密なんですけれどね。(^-^ )

ここでは次の3段論法は成り立ちません。
「超芸術家は秘密を隠す」
「Papalinは秘密を隠した」
「Papalinは超芸術家である」

( iдi ) ハウー
 
Papalin
2009年03月19日 06:32
◆◆ 「曲芸」の凄さはわかりません

aostaさん、ありがとうございます。
以前、ダヴィンチのモナリザに僕は感動しなかったという話は書きましたっけ。子供の頃から、誰もにもてはやされているものを、斜めから観ている性格は変わってないですね。

もともと、音楽を含む芸術、いや数学でも物理でもなんでもいいや、この世に何十億人という人が何に感動するかなんて画一的ではないので、その人の琴線に何が振れるかなんて自由ですし、心には嘘つけませんし。

とすると、こんなことでぼやいて息巻いている僕のこのブログなんて、無意味でナンセンスなものなのです。「俺はこうなんだ~。文句あるか~。」と息巻いてだけですから。(^_^;)
 
バッハの時代、いやそれ以降もそうですが、当時の音楽って、ともすればその場限りのもの。今のようにCDやi-Podで誰もがいつでも聴けるなんてことは想像外のもの。そうした時代に、一瞬のために高度な仕掛けをしたってのは凄いことだと思います。
 
ichi
2009年03月19日 06:32
**秘密をいくつか隠しています・・・について
ボクは、Papalinさんは結構わかりやすいと思っていますが、浅はかな考えでしょうか?
超芸術家というところに異論はありませんが。
Papalin
2009年03月19日 06:33
◆◆ 結構わかりやすいと思っていますが

ichiさん、ありがとうございます。
それは99%アタリです。(^_^;)
でも1%くらいは"奥ゆかしさ"のようなものも
あってもいいかと・・・。
 
2009年03月19日 07:45
バッハもPapalinさんも超芸術家であることに異存はありませんが(笑)、バッハの生きた時代を考えると、彼もまた「職業音楽家」であったことは仕方ありませんね。
パトロンに気に入ってもらえないことには、音楽を発表することはおろか、音楽家として生きていくことさえ難しい時代であったかと思われます。
そんな意味で、時にはパトロンを驚かせたり、よろこばせたりするような細工、曲芸も処世術として必要なときもあったのでしょう。
私にとっても、すでに芸術として評価が定まっている作品は、絵画であれ音楽であれ、自分の感性だけで無心に向かい合うことは難しいです。すでにたくさんの情報がインプットされてしまって、どこまでが自分の感性なのか、自分のがわかりません。作品と直感で対峙する機会が奪われているようにも思います。その意味で「斜めから観ている」Papalinさんの気持に共感を覚えます。
コメント
2009年03月20日 22:13
>あなたは、確かに並外れた才能の持ち主。
>でもね。そうして計算して作った"音楽そのもの"で勝>負しなよ、バッハさん。
>計算の凄さは認めようじゃないか。
>でも音楽って、感動してなんぼでしょう?
おまえは、どこまで思い上がったやつなのだ!
感性がまったく死んでいるな!
おまえは、音楽をやる資格はない。
何様だと思っているのだ!
いい加減にしろ!!
バッハの解説は既に何百も出ているが、お前は無知な上に、本物のばか者だ!

お前は、音楽をやる資格はない。
Papalin
2009年03月21日 07:38
◆◆ どこまでが自分の感性なのか

aostaさん、ありがとうございます。
本当にそうですね。あり余るほどの情報が容易に手に入る時代、求めなくても入手できてしまう時代って、ある意味では罪作りかもしれません。人間の五感をゆがめてしまうかも知れませんね。

斜めから観ていると僕自身も書きますが、それは決して否定してかかっているわけではありません。できるだけニュートラルに見たい聴きたい感じたいと思っています。
 
Papalin
2009年03月21日 07:54
◆◆ 感性がまったく死んでいる

コメントさん、ありがとうございます。
お近くにお住まいの方のようですね。

私が書いたのは感性・・・ではなくて、
理性で音楽を聴くことについてでした。
言葉が足りませんでしたらすみません。

世の中には様々な感想をもつ人がいます。
バッハは皆から敬愛されています。
僕もバッハを尊敬する一人です。

完璧なバッハに、失敗作と感じられるようなものがあってホッとしてもいいじゃないですか。

本、読んでます。(^-^ )
 
ichi
2009年03月22日 13:02
**ふたつ上のコメントさんのコメントについて
あんまりこういったコメントにコメントを被せたくはないのですが、ちょっとだけ書かせてください。私もバッハは大好きです。音楽の力は偉大で、大げさに言うと、絶望にうちひしがれている時に聴いたバッハが救いになったというような経験もあります。でも私は、Papalinさんのコメントを読んでも怒りは湧いてきませんでした。それは、長年Papalinさんの音楽を聴いて、ブログのコメントも読んでいるものとして、ある時はバッハを神のようにあがめ、ある時は時代や空間をこえて親近感をも感じながら、常に緊張感をもってトライしていることを知っているからです。まさにバッハを愛しつづけている人です。
コメントさんのコメントからは、怒りしかみえません。こういったコメントはいたづらに人を傷つけるだけで、何の考えも見えてきません。特にPapalinさんの言葉を抜き取って羅列した部分。こういった表現は、文脈を無視し字面だけを証拠のように並べ報道するマスコミのように感じられてなりません。
あと、いくら怒っているからといって、お前よばわりするのは止めようよ。
Papalin
2009年03月23日 21:05
◆◆ こういったコメントは・・・

ichiさん、ありがとうございます。
気遣って下さって感謝しています。
僕はこの手のコメントやメイルを沢山戴くようになりました。最初の頃(数年前)はそれでも一応それなりに傷つきましたけれども、その後に気づいたことは、僕はいくつももらっているので、忘れてしまうんですよ。でも送った方は一生忘れないでしょうね。ご自分の失態が相手の意思によってはこうして一生残ってしまうわけですから。(^_^;)

なので、普段はこの手の人は相手にしません。
でも近所の方だってのでついね。(^-^ )

それより、オペラ座の怪人を聴かれて、ひょっとしたらロ短調ミサの後半は、仮想混声合唱になるんじゃないかと心配していたりしませんか?

大丈夫です。クレドからも、男声合唱で行ないますから。でもそれはロイド=ウェッバーを軽視しているということではないので、誤解なく! ロイド=ウェッバーは現代の素晴しいメロディ・メイカーです!

バッハはね、第一部と第二部の作曲の間に時間をあけています。だからってこともないのですけどね。(^-^ ) ニコッ
 
2009年03月23日 21:20
Papalinさんとバッハ・・・
何年前になるでしょうか、バッハの「主よ人の望みの喜びよ」をご指導いただいたことがありましたね。
あの時感じたPapalinさんのバッハへの深く真摯な愛と、演奏への情熱は今に至るまで強い印象として刻まれています。バッハの想いに近づこうと何日も寝ずに楽譜をにらんでいらしたことを知っています。
Papalinさんにとって、バッハがいかに大きく偉大な存在であるかを目の当たりにした時でもありました。
今回のレヴューが、バッハを軽んじているどころか、バッハへの愛情の一つの表れと見るのは、うがち過ぎでしょうか。
2009年03月23日 21:25
500字制限にひっかかりましたので、つづきです。

例えばコメントさんはPapalinさんの「ロ短調ミサ」をお聴きになっていらっしゃるのか、もちろんこの曲に限らず他の曲でもいいのですが、もしまだお聴きになっていらっしゃらないのでしたら虚心坦懐にPapalinさんの演奏をお聴きくださいますようお願いいたします。
心の奥深くから演奏されているバッハであり、音楽そのものだと思われませんか?
また最後にひとこと。
「音楽をする資格」とはどんな「資格」なのでしょう。こうしたコメントをなさる前提として、文章だけでなく演奏も十分に聴かれていることが最低限の「資格」なのではと私は思います。
P2
2009年03月24日 09:40
こんにちは
初めまして

こんな風に自由に語れるっていいですね。
先日、NHKFMのクラシック番組の中で、バッハの話じゃなくて恐縮なんですが、解説の方が、あ、評論家さんですね。
「ベートーヴェンの作品はどれも完璧なものばかりだと言われていますが、僕はベートーヴェンの作品にも愚作はあると思っていまして、それはさておきこれから演奏しますエグモントは最高傑作で・・・」
と言っているのを聞きました。

この後、NHKの電話が鳴りっぱなしになったかどうかは知りませんが、心密かに私は愚作についての解説を聞いてみたいと思うのです。
ニュートラルで!
Papalin
2009年03月24日 20:36
◆◆ 何日も寝ずに楽譜をにらんで・・・

aostaさん、ありがとうございます。
あはは。それはありませんよ。(^-^ )
それでも、あの曲は1時間くらいはにらめっこしたでしょうか。僕としては異例なことです。やっぱり、指揮するってことはそういうことですよね。

> バッハへの愛情の一つの表れと見るのは、
> うがち過ぎでしょうか。

天邪鬼の私としては、出来すぎです。(^_^;)
でも、きっとコメントさんにも言えることだと思いますよ。(^-^ )
 
Papalin
2009年03月24日 20:39
◆◆ 「音楽をする資格」とはどんな「資格」

aostaさん、ありがとうございます。
いやいや、勢いで書いてしまうときって、そんなものですよ。僕にもそういう頃があったし、今でも充分に頭に血がのぼりますし。

でも残念ながら、素晴しい演奏をされる方で、こうしたコメントを送ってこられる方はいらっしゃらないのも事実です。(^_^;)
 
2009年03月24日 20:50
◆◆ ニュートラルで!

P2さん、ありがとうございます。
そして、ようこそいらっしゃいませ。

> 自由に語れるっていいですね。

そうでもないですよ。
いつ刺されるか、ヒヤヒヤものです。

現代がいかにニュートラルでいるのが難しい時代かってことですよね。情報が溢れ、外野も沢山、知識の時代。その中で、ニュートラルで接することの難しさは、前述のaostaさんのコメントの通りだと思います。

『頭のいい人 悪い人の・・・』シリーズを書かれた樋口 裕一さんがインタビューで言っておられました。文章を書くって挑発的な行為だって。本当にそう思います。癒し系のブログって、やっぱり飽きちゃうんですよね。荒波をかわして生きてるって感じで・・・・・。
 
2009年03月26日 10:45
私は「モーツァルトの音符達」を持っています。
面白いと思います。
池辺さんの雰囲気は好きでしたが、最近になって昔大好きだった大河ドラマ「黄金の日々」のテーマ曲が彼の作品だと知り、感激でした。
今でも大河ドラマといえばこのドラマと曲がまず第一に浮かんできます。(他は良かったものも結構忘れています。)
今回のPapalinさんの辛口ブログ、いろいろな意味で考えさせられました。
またコメントさせてください。(時間が・・・)
Papalin
2009年03月29日 20:19
◆◆ 「モーツァルトの音符達」を持っています

Ceciliaさん、ありがとうございます。
コンサートがあったりで、お返事が大変遅くなってしまいました。ごめんなさい。

色んな"音符達"があるのですね。クラシック音楽の愛好家としては、どれも読んでみたいです。もちろん池辺さんのメガネを通してということでしょうけれど、彼の感性は、馬鹿みたいな音楽界にとって貴重だと思います。結局好きなんですね。(^_^;)

> Papalinさんの辛口ブログ

そうですか?
ただ素直なだけだと思ってますが。(^-^ )
 
Gemini
2009年03月30日 22:08
今晩はGeminiです
池辺氏の著作を読んでいないのですが、Hotな議論が続いていますね。

世の中に職業音楽家(音楽でメシを食っているヒト)がいますが、彼らの「音楽」が(私にとって)必ずしも最上とは思えない場面が時々あります。
ただ、私の職業音楽家の知合いの音楽上の意見は、とても示唆に富んでいます。
しろうとが少々何を云っても到底及ばない…
音楽でメシを喰っているわけだから、
「1+1=2、だから・・・」てな構築を
(必ずしも論理的ではなくでも)自然にやっている。
そういう場合、私自身はその意見に必ずしも同意できなくても、そのひとを「理解」することができる…

評論家の事情は少々違うかも知れません

職業評論家というものが今も成立しているのか
あるいは成立している必要があるのか分からないけれど、私が音楽評論家といえば吉田秀和とその盟友の小林秀雄で…どちらかが「評論家の仕事は人を褒めることだ」という意味のことを述べています。
じつは、このコトバは意外に重いのではないかと…
上手くいえませんが、それは彼らが「職業音楽家」ではないからでは、と思います。
Gemini
2009年03月30日 22:19
Gemini、続きです

同じ内容が二回送られてしまいました。直前のコメント無視してください。

「ずいひつ」と「評論」はたぶん随分違う…
私は池辺氏の著作を読んでいないので、件の著作が「評論」なのかどうかは分かりません。
私は、職業化学者ですが、自然科学に関するずいひつを書こうと思えば多分できるのでしょうが、科学評論を書けといわれると、あれこれ歴史的事実、推移etc, etc を調べ上げ、論理を構築…となれば、これはオレの仕事ぢゃない、と投げてしまうのがオチでしょう。

私は音楽でメシを喰う職業音楽家になろうとは思わないし、なることもできないでしょう。ただ、私は「音楽愛好家」で、職業音楽家にはできない、自分の好きなように音楽する自由と資格を持っていると思っています。

--Papalinさんも、(そして立場は違いますが)池辺氏も、やり方は違っても、音楽を愛する気持ちは同じなのでは…
Papalinさんも同意見でしょう(かな?)
--いつもPapalinさんのBachは愛聴させていただいています。有難うございます。
Papalin
2009年04月04日 09:45
◆◆ 吉田秀和とその盟友の小林秀雄

Geminiさん、ありがとうございます。
お返事が遅くなってすみません。

彼らに共通していること、それは、この上なく音楽を愛しているということです。現代の評論家さんたちは、持っている言葉の駒をやりくりして、書きたくもないようなコンサートのコメントを、コンサートに行かずに書いたりして、報酬をもらっていたり。上記のお二人にはまったくそんな必要性がなかったのですね。これは大きな違いです。

言葉が足りなかったのは、池辺さん自身は評論が本職でなく、作曲家、もちろん演奏もされます。だから僕は池辺さんも愛しています。(^-^ )
 
僕のブログって、行間が広すぎますね。
(^_^;)
 
Papalin
2009年04月04日 09:52
◆◆ 自分の好きなように音楽する自由と資格

Geminiさん、ありがとうございます。
全く同感です。(^-^ )

五部のPapalinにも、一部の魂。
生きてる証しです。

この場を借りて、もう一つの誤解をとらねばなりません。地元の職業音楽家に警告を鳴らし、多分そのことによってコメントさんからコメントを頂戴した件についてです。

バッハのこうした数学的な音楽の構築に関しては、何も池辺さんが見つけたのではなく、昔から言われ、著作もいくつかあります。僕も何冊かは読んでいます。でもそうした著作は、バッハが好きな、いわば特別な限られた人たちだけに愛好されてきた本です。僕が警告を鳴らしたかったのは、「こんなポピュラーな本が出てますよ。これは誰でも人気の書店で目にしますよ。タイトルからしても、読まれる層は格段に広がりますよ。」ということです。もはや一部の人たちの知識ではなくなっていることをお伝えしたかったのです。