『小さな村のクリスマス』 (17)  ~トーマス受難編~


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 第三回目の練習は、礼拝の後のほんの20分だった。12月10日の日曜日。僕は、伴奏を録音したマルチ・トラック・レコーダーからトラック・ダウンもせずに、そのまま機材ごと教会の2階ギャラリーに持ち込んだ。そして、本番で使う録音を使っての練習を開始した。

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 ドン・ホセ 「今日は、本番で使う伴奏に合わせて歌いましょう。ミレッラさんが一発で録音してくれました。」
 エリザベートさん 「すご~い。」
 ミレッラさん 「そうよ~、大変だったんだから~、ねぇドン・ホセさん!」

 ドン・ホセ 「なかなかできないよ~、一発録音。僕なんかじゃ無理だな。(笑) さてその前に、二つ伝えたいことがありま~す。一つはソプラノさんにです。賛美歌は殆どと言っていいくらい旋律をソプラノが独占します。この曲もご他聞にもれず、ずっとソプラノさんが旋律を歌います。毎週歌っている讃美歌もそうだけど、最初から最後まで、いっぺん調子で歌わないようにね。音楽には必ず抑揚があります。機械が奏でるんじゃないからね。本来は旋律を歌うソプラノさんが表情をつけないといけないんです。それをアルト以下の3パートはデフォルメしてサポートするんです。サポートに頼りきらないように。そして、ソプラノさんだけに、ところどころ16分音符とかトリルとか出てくるよね。これは重く歌っちゃだめなんだ。僕たちが歌うような速いテンポの場合、ここは抜いて歌うと綺麗に聴こえます。僕も上手く出来なんだけど、こんな感じ。」

 ♪や~ど せ~る わ~hahaれ~ら~ わ~♪

 トーマスさん 「上手いなぁ、なるほど~。」
 ドン・ホセ 「それほどでも。決して♪わ~AAれ~ら~♪という風にはならないように。」

 いま思うと、この日、ソプラノさんに伝えたのは、べからず調だったかもしれない。でも、他のパートは、音もリズムもそれなりに難しい。それに旋律じゃないし。一方ソプラノさんの旋律は簡単だし、よく知っている曲だし、ともすれば毎回の練習がだれてしまう。僕は続けてもう一つ課題を与えた。

 ドン・ホセ 「最後の二つのブロックだけ、"tr"って書いてあるよね。これはトリルなんだけど、どうして最後だけバッハはトリルを書いたのかなぁ。」

 一同 「・・・・・」

 ドン・ホセ 「それはきっと、こころに主イエスを宿しているクリスチャンの喜び、そして神さまへの讃美の気持ちを高めたいからだと思います。そして、バッハの時代のトリルは、モーツァルト以降の作曲家とは違って、上から掛けます。54小節目のシの音についているトリルは、♪ドシドシドシ♪のように、シの上のドの音から始めます。そしてこれは僕の趣味なんだけど、トリルがついているのは2分音符、2拍だよね。そのうちの最初の一拍だけトリルを掛けて、二拍目はかけない。そう、こんな感じ。ゆっくり歌うよ。」

 ♪シ~~~ド~ レ~~~レ~ ド~ドシドシドシドシ~ ラ~ラ~♪

 トーマスさん 「上手いなぁ、なるほど~。」
 ドン・ホセ 「いや、それほどでも。これは難しいから、今日は挑戦してみて下さい。できなくても構わないから。」

一同 練習中。

    物語の中身とは関係ないのですが、なぜかソプラノさんだけ、
    さん付けで呼んでしまう僕の癖に気づいた人、いますでしょうか?
    景品あげましょう。なぜでしょうね。




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 ドン・ホセ 「はいはい、今日の2点目! それはバス。」
 トーマスさん 「ドキッ。」

画像 ドン・ホセ 「楽譜とにらめっこしていたらさぁ、バス・パートって、ずっとワルツ踊ってんの。そう、ティ~ヤンパ~ね。ところが、例の唯一の短調になる第5ブロックのところなんだけど、ここだけバス・パートに8分音符が出て来るんだよ。しかも、これは他のパートには出て来ない、つまりここだけ4つ、8分音符が出てくるの。それはなぜだろうって、ずっと考えていたんだけど、イエス様が教えてくれた。これは、イエス様がユダヤ人の反感をかって十字架で処刑されるときに、イエス様の両手両足に打ち込む釘、そしてそれを叩く音なんだよ。イエス様の受難をここではバスの音ではっきり示さないといけない。トーマス君、頼むよ。」

 みなの顔がしっかり見えた。
 ヒラリーちゃんが『そこまで考えたの~?』って、驚きの表情をしている。ミレッラさんは『さすがだわ~。』と、声こそ出さなかったが、僕は彼女の唇を読んだ。キャスリーンさんは、僕が辛い話をしたにもかかわらず、僕の目を見て微笑んでいる。アグネスさんが、口をキュッと結んで僕をしっかり見てる。

 トーマスさん 「え~、僕辛いよ~。」
 ドン・ホセ 「しっかり打ち込んでくれないと困る。」
 トーマスさん 「・・・」

 僕にしては、珍しく強い口調で言った。
 というのは、この謎について、僕は事前にずっと考えを巡らせていたのだ。



 バッハは色々な曲に実は秘密を隠している。モーツァルトもそういうことをする。僕がバッハが組み込んだこの謎に気づいて、その理由を考えていたとき、突然、イエス様が僕の脳裏に浮かんだのである。イエスは十字架に磔となって・・・。

 イエス様 「私の両手、両足を留めなさい。」

 そうは言わなかった。僕はまだキリスト教とは距離を保っている。これからもずっとそうかもしれない。だけど、クリスチャンと一緒に礼拝に出て聖書を読んでいると、驚くことにイエス様が僕のところに降りて来られる。そしてルカ11章9節のように、僕が求めると与えて下さる。僕が探すと見つかる。ひょっとしたら、聖書のヨハネ14章14節に書かれているように、イエスの名によって何かを願うならば、イエスがかなえて下さる・・・そのものではないか。

 正直、僕は恐くなった。こんな経験はしたことないからだ。
 アーメン四唱にしても、僕だけの力で気づくことができたかどうか、それも不思議に思っていたところだった。
 ワルツでみんなに教えなさいってのも、何だか神がかりである。たったの一ヶ月間に、3回もこんなことがあると、占いだとか、迷信とか、そういうものを殆ど信じない僕でも恐くなった。

 あまりこのことを書くと、読者に引かれそうなので、やめる。

 そして、これらのことは、実はクリスチャンである聖歌隊のメンバーにも話せなかった。それは、このプロテスタントの教会では、毎月一回、証しの礼拝がある。そこでは教会員や、その他クリスチャンが、神様から頂いた恵みについて、その体験をお話しする。しかし、僕のような"奇妙な"体験、イエス様との対話について話をされる人はそれまでいなかった。変な目で見られはしないかと、僕はたじろいだ。そしてこれらのことは、僕の心の中だけに閉じ込めた。


 さて、釘を打ち付けなさいと言ったトーマス君は、僕の少々語気の荒さに、背筋をピンと伸ばしていた。辛いけど、僕が打ちますと、覚悟ができたようだった。本番で歌った10人の聖歌隊による録音で、たった一人のバス、トーマス君の声がしっかり聞こえるのだ。まだ本番の録音は出し惜しみしている。予め、聴くポイントをこうして伝えたいからだ。申し訳ない。



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 こうして、やっと練習が始まった。ポイントを押さえながら、2回歌うのがやっとだった。1階では既に洗礼のための勉強会のために椅子が整えられ、エーリッヒ・クライバー牧師が待たれている。僕は、どうしても今日したいことがあった。

 ドン・ホセ 「先生、すみません。もう一回だけ歌わせて下さい。アグネスさん、1階の祭壇の前に立って、僕らの歌を聴いて下さい。そして感想を聞かせてほしい。」

 アグネスさんが、足早に階段を降りていった。僕らは、3回目を歌った。歌い終わって、アグネスさんの言葉に全員の耳がダンボになっていた。

画像 僕は指揮者という特権的な場所でみんなの声を指揮をしながら聴いている。しかし、横一列に並んだ聖歌隊の中で歌っていると、せいぜい聴こえてくるのは、隣の人の声だけ。他の人の声は、教会に反響して遅れて聴こえてくる。だから、全体のバランスは、歌っている者にはわからないのである。アグネスさんに僕が抜けてもらったのは、客観的な状態で聴いてほしかったからだ。僕が感じている、彼らの成長を、アグネスさんにも感じてほしかった。そしてそれは、僕が想像できない、クリスチャンの美しい表現となって僕らに届いた。

 アグネスさん 「なんだか雲の上で、神さまの御座で、みんなの歌を聴いているような感じだったよ~。」

 嬉しかった。それは僕だけではあるまい。でもアグネスさんは課題を伝えることも忘れなかった。

 アグネスさん 「でも、出だしが揃わなかったね。出だしは肝心やからなぁ。」

 彼女は耳がいい。僕が指揮を始める前、僕は彼女によく、音の間違いを指摘された。僕も、他のパートの音を見ながらとか歌っていることがあるので、そういうときはよくチョンボする。だから彼女のいい耳は大切にしたいと思っている。


 あぁ、今日の練習で気づいたことがあった。前号で予告したドラマを書く前に、前段にと思って書いたのが、本編になってしまった。次号に回そう。乞うご期待!

  (トーマス君、きみの話も、十分ドラマだったね。ゴメン。)
                                        つづく



【注:登場人物・団体はすべてフィクションです。】
~~~ 感動的な本番! 物語は着実に本番に向かって進む ~~~

【写真】 教会のある原村のペンション・ヴィレッジのイルミネーション。


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この記事へのコメント

2007年01月02日 09:29
あけましておめでとうございます。

素晴らしい体験をなさっているのですね。
でも、そんなに不思議ではないように思います。人が心から真剣に望んだ時、そしてそのことについて考えて行動した時に、与えられるということは聞きますし、私も経験しています。Papalinさんにとっては、まさに啓示だったのですね。
そんな体験、話してごらんになったらいかがですか?
私なら、とても聞いてみたいお話です。

今年もよろしくお願いします。
2007年01月02日 11:02
◆◆ まさに啓示だったのですね...

悠さん、新年おめでとうございます。
今年も宜しくお願いいたします。

そう、勇気をもって、ミッドナイト・ミサで話しました。その感想を聞いたわけではないのですが、素晴らしい"証し"だったと人づてに耳にしたとき、話してよかったかなと思いました。ブログで書いているだけでは伝えたことにはなりませんものね。

悠さんからのこのコメント、とても嬉しく思いました。どうもありがとう。

どうもです (' - ' *)ゞ カキカキ
2007年01月05日 23:49
またコメントが消えてしまいました(涙)!!
同じことは二度かけませんね。
結構力を入れて書いたつもりでしたのでショック!!

バス・パートのトーマスさん、Ppapalinさんのご指導の後で、目に見えて変わったのがわかりました。
安定感、安心感のある豊かな「王様のバス」です。転調のあとの八分音符、あの印象的なリズムが、一番大切な第5ブロック以降をあれほど深く、痛切なものに変えてしまうとは驚きでした。

今ではPpapalin説意外には、考えられないほど、すばらしい解釈だと思います。
2007年01月07日 09:57
◆◆ すばらしい解釈だと思います...

aostaさん。
聖ヨハネ教会に埋葬されているバッハを揺すり起こして訊いてみたんですよ。
(=^_^=) ヘヘヘ

それにしても、トーマス君の成長には驚いたね。僕がヒントや注文を出すと、次の練習までにそれを仕上げてくる。何とも気骨のある人間です。

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