『小さな村のクリスマス』 (24)  ~本番 (完)~

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●読者のみなさま

 つたない物語を最後までお読み下さり、本当にありがとうございました。当初はこんなに長い物語となることは予想だにしていなかったのですが、台本もない、脚色もないドラマが次々と起こり、こんなにも大作となってしまいました。

 僕はこの物語を通じて、何を伝えたかったのでしょう。

 小さな村の教会にできたクリスチャンによる聖歌隊が、如何に普通であるか、自然な人と人との交わりの中で、如何に同時に人間学の修行を行っているのか、その自然なありさまを紹介したかったのです。

 時として、深い信仰を持たれた方は、僕のような信心の浅いものからすると近寄りがたく、引いてしまうことがあります。「あの人は神がかりな人だから・・・」という憂いを含んだ思いと共に。でもそれは誤った見方だと思うのです。そして信仰を持った人が、世間から誤解されて、身を潜めて生きていく姿を見るのも、僕は忍びなく思います。

 一方で、まだ修行の足りないクリスチャンは、一般社会の中で、クリスチャン特有の言葉を使って喋られることがあります。これは社会の中では相手と自分との間に距離を自ら作ってしまうことです。誤解を招くような場を自ら提供してしまっているクリスチャンを見ますと、もったいないと思うことがあります。例えば、一般社会のビジネスの場において、有能なエンジニアはお客様とお話をするときに、お客様の専門的な知識を尊重し、お客様がわからないような専門用語は使いません。使うとしても、とてもわかり易い平易な言葉やモデルに置き換えて、説明をします。お客様と専門用語を使って話しても大丈夫だとわかった時点で、難しい言葉も交えて話をします。これと同じですね。

 僕は、クリスチャンはみな聖人のような人達だと思っていました。でも、クリスチャンも普通の人間です。失敗もし、過ちも犯します。それが証拠に、旧約聖書で述べられている十戒。これらを本当に遵守して生きている人なんて、おられるのでしょうか。罪を犯したことのない人って、いるのでしょうか。たとえいらっしゃったとしても、それあごぐ限られた方でしょうね。みんな人間の、自分の愚かさを嘆きながら、少しでもスピリチュアルに生きたいと前進しているのですね。

 神さまは、聖書を読んでいるだけではダメだと仰います。聖徒(クリスチャン同士)の交わり、ひいては異教徒の方、特定の信仰を持たれない方たちと接しながらこの世を生きていく、まさにこの日常において、隣人を愛し、隣人の助けとなり、生きていくことを求められています。この物語のように、どんなに目的を一つにする聖歌隊であっても、聖歌隊を構成する人間は一人ひとりみな違った個性を持っています。そして時には個性がぶつかり合います。そして両者ともあるいは周りの人間も巻き込んで、みな傷つきます。そのときにどう対処できるでしょうか。この物語はクレド聖歌隊を舞台にしてはいますが、世の中どこでも起こりえる、ありふれた日常生活の中の葛藤。それを敢えて紹介させて戴くことによって、日常性にスポットを当てた、ありふれたお話にしたかったのです。それは何もクリスチャンの世界の中だけの話ではありません。

 都会で生活していますと、隣に住んでいる人の顔さえ知らないことがよくあります。あえて人と人との交わりは求めずとも、人間社会で生活していく上では、人間関係を避けては通れません。では、自分に与えられた環境の範囲において、積極的に人と関わっていくのか、距離を置いて、相手の心の中までは深く入り込まずに生きるか、それは個人の思うところです。僕は今まで後者でした。その方が楽に生きられますから。でも、敢えて僕は前者の道に軌道修正しました。

 40代後半になって、初めて"生きる"ということについて真剣に考えました。それをこうしてPapalinとしてはかなり重い内容で物語に記しました。後半生は、人として、自分が納得できるような生き方をしたいと思いました。

 この物語に登場する人物の中で、ドン・ホセだけは、僕が思う理想の姿を書きました。スピリチュアルに生きたい、だったらこうありたいと、多分に僕の願望が含まれています。だから、情けないんだけど格好良いドン・ホセは、僕の理想なのです。

 それが、この物語を通じて僕が皆さんに投げかけさせて戴いたテーマであり、この物語自体の目的だったのかも知れません。もちろん僕自身の修行という、もう一つの大きな源流も並行しています。僕にとって聖書は、イエス=キリストという人の姿をされた神さまの伝記であり、僕のこれからの生き方の道しるべとなりました。聖書の辻褄の合わない記述や、イエス=キリストが命を落とされてからの2000年間におけるキリスト教の儀式・習慣に少なからず疑問や抵抗を感じていた僕でしたが、今はそれはどうでもよいこと。自分と言う基準がしっかりあって読むのであれば、聖書は十分に受け入れられる指南書だと思うようになりました。聖書は、こうしなさい、ああしなさいという、How to 口調で書かれたものが大半を占めています。でも肝心なのは、なぜそうするのですか・・・ということだと思います。それに気づきたいと願って、僕は聖書と対峙しています。なにせ、2000年以上にも渡って、人々に読みつがれてきた書なのですから。

 本当にありがとうございました。


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そして、最後に・・・

●ドン・ホセ

 聖書に書かれた、人と人との交わりにおける人間道の修行。君はそれを実践した。人との厄介な関係を避けて生きてきた今までの人生と決別しようという決意は認めよう。だけど、相手の立場になって考えること、行動すること、それは誰も見ていないところでもできるようになりなさい。お前が目指すスピリチュアルな生き方をしなさい。神さまはいつでもどこでもお前を見ておられる。そして、お前が隣人を愛したいのなら、まずは自分を愛しなさい。愛すべき自分になりなさい。


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 2006年、クリスマス。それは僕にはちょっと大袈裟だけど、命がけだった。
 神さまに召されるまで、いや召されてからもずっと修行の場かもしれない。

 こうして、僕のクリスマスが暮れた。

 2006年12月28日。 Papalin 離婚成立。
 新たな僕の修行が始まった。

                                        


クレド聖歌隊の本番演奏は こちらからお聴きいただけます



【注:登場人物・団体はすべてフィクションです。】
~~~ ありがとうございました ~~~

【写真】 午前の礼拝、午後の祝会での クレド聖歌隊。


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この記事へのコメント

ちょびママ
2007年01月07日 21:50
昨夜オジャマしたんだけど、「ええ~っ!」って思ってコメントできずに退散してしまいました。
ごめんなさい。

完結の日を迎えましたね。
それにしても大作でした。
大河ドラマにも負けてませんよ!
読み応えありましたよ。
Papalinさんも寝食削って。。。ってご様子で、体重減ったんじゃないでしょうか?
そして本番演奏!
鳥肌立ちましたよぉ~!
これまでのドラマを聞かせて頂いてるから余計に。。。
素晴らしいです!
感動をありがとうございました!!
風の森
2007年01月07日 23:13
完結、おめでとうございます!
なんせ私にはまるっきり未知の世界のこと、とても興味深く拝読いたしました。
Papalinさん、ずっと理数系に浸けておくの、もったいない。そして、抜きん出た集中力には完全脱帽です!!
さて、「新たな修行」がスタートですか。
迷うことがあったら、質問してみてくださいね。私、先輩なんだからね。・・・へへッ。

遅くなりましたが、今年もどうぞよろしくお願いいたします。
早くハマにいらっしゃい。
2007年01月08日 02:50
◆◆ 読み応えありましたよ...

ちょびママさん、
僕も、書き応えありました! (笑)

やっと僕のクリスマスが終わったという感じですね。蛻の殻です。

体重? 変わってませんよ。
あ、増えたかな?
シアワセブトリですから。

(=^^=) ニョホホホ
2007年01月08日 02:54
◆◆ まるっきり未知の世界のこと...

風邪の森さん、こんばんは。
お久しぶりです。
アケオメコトヨロ!

またまた、嘘ばっかり!
知ってますよ。とある方のサイトで歌っていらしたの。音楽はみな音楽でしょ?

迷うこと?
もう迷いはありませんから。(笑)
お友達を説得して下さったら、
すぐにでもハマに行くよ。
でも、腰が・・・・・。

吸血~♪ (;Θβ(;  ̄ o) クラクラ~
クララ
2007年01月08日 08:36
「小さな村のクリスマス」 完  おめでとうございます。

この数ヶ月間のPapalinさんの胸中を思い、感無量で最後の行、読ませて頂きました。
これから別の方向へと進む方へのお気持ちも、ドン・ホセの章に表されていると安堵しました。

新しい年が皆様に穏やかな風を運んできますようお祈りしています。
2007年01月08日 08:59
◆◆ 安堵しました。 クララさんへ

ご心配をおかけしました。
音楽はいいですね。
しばらく不自由していたので、再び音楽に真正面から取り組めたことの喜びを、人一倍感じることができました。僕から音楽をとったら、骨と皮だけです。

(≧∇≦)ぶぁっはっはっ!!
クララ
2007年01月08日 12:27
>僕から音楽をとったら、骨と皮・・・
?????・・・・・

大好きな音楽を身に纏って、どんどん膨らんでください(笑)
2007年01月08日 14:46
◆◆ どんどん膨らんで... クララさんへ

ゴメン、もうなってます。 (o^<^)o クスッ
lavie
2007年01月08日 15:26
ちょっと、落ち着いてきました。
キリエ聖歌隊も聞いてきました。

あなたの傷は、砂に書きなさい。
祝福は、岩に刻みなさい。

巻頭の言葉、素敵ですね。
はじめ見たときは、おいしそうなパンに見えました。

前記事と今回の記事を続けて読むと、うるうるしてきました。思いがこみ上げてきて、papalinの言わんとせんことは、十分伝わってきました。
私も洗礼については、話に聞いても、よくは知りませんでした。友人が洗礼を受けたと聞けば、受けると楽になるのかなあ 自分も受けてみたいなあ と思ったことはあります。
しかし、一連のpapalinの読み物で、そんなものではないし、また、そんなものでもあるのかもしれない?とも思いました。
lavie
2007年01月08日 15:31
この「小さな村のクリスマス」物語は、papalinにとって大きな力になったのですね。

いつか、この心落ち着ける小さな教会に行ってみたいと思いました。ご案内役は、aostaさんにお願いしようかしら。
教徒でなくても入れるって仰ってましたよね。賛美歌を聴きに行きます。
2007年01月08日 18:46
以前から寄せて頂きながらコメントは初めてです。昨日の一行でパズルの一つがはまりまして絶句!!言葉が無く、皆さんがコメント入れられる人がなく私も帰ってしまいました。人は皆修行に向かっていると思います。でも逆に大きい愛ですね。ホントに有難う御座いました
「小さな村のクリスマス」私も真剣に読ませて頂きました。砂と岩に書き込む内容、良い言葉ですね。これ以上は言葉を必要ではないと感じました。
lavie
2007年01月08日 21:58
砂と岩には、別の思惑もあったのですね。
トップ画面を見て、そうなんだって気が付きました。
砂と岩だらけになってましたもんね。
でも、素敵な言葉には変わりはありませんよ。
2007年01月08日 21:58
◆◆ 祝福は、岩に刻みなさい... lavieさんへ

深い言葉です。

これだけは確かです。
僕は、祝福をブログに刻みました!
2007年01月08日 22:01
◆◆ 教徒でなくても入れる... lavieさんへ

欧州の教会も、どこでも入れます。
入れないところは、問題ですよね。
勇気が足りなければ、どなたかと一緒に。
2007年01月08日 22:19
◆◆ 言葉を必要ではないと...

icashiyaさん、ようこそ!

「言葉」 ・・・ ときとして、こんなに軽いものはないと思うことがあります。一方、書は重いですね。ブログは一体どちらでしょうね。今晩眠れなくなりそうです。(笑)

URLを貼って下さったので、軽い気持ちで参上したのですが、退散いたしました。でも、足跡を残してしまいました。私のようなバンパイアには眩しすぎまする~!

ぺこ <(_ _)>
2007年01月08日 22:31
◆◆ 砂と岩だらけに... lavieさんへ

よく気づかれましたね。
個人情報保護 ・・・ 最初から難しい問題を孕んでいました。物語はフィクションです。
2007年01月10日 06:49
「低温注意報」が出ています。
ここに来て急に寒さが厳しくなりましたね。

昨年末まで暖冬、暖冬と騒がれていたのがうそのようです。今年は灯油代も気にかかります(笑)。 思い起こせば、去年は異常な寒さでしたね。
芽吹きの季節を迎えた時、改めてあの酷寒の冬を耐えた植物達を愛しく思ったことでょう。
同時にまた、どんなに長く過酷な冬にもこうしてまた光り溢れる春が巡ってくることに改めて感動したときでもありました。

「一月はいぬ、二月は逃げる、三月は去る・・・。」
気づかぬうちに季節が変わっていきます。
時には自分だけ取り残されてしまうときも。
冬には冬の美しさ、楽しみを満喫いたしましょう。

2007年01月10日 06:56
lavieさん

こちらにおいでの際は是非にも、声をかけてください!
教会だけでなく、他にもご案内したい場所はたくさんあります。そしておしゃべりも沢山したいですね。Ppaalinさんのご指導のもと、歌も一緒に歌いましょうか(笑)?
2007年01月10日 22:41
◆◆ 一月はいぬ、二月は逃げる、三月は去る

aostaさま

「一月はいぬ、二月はとり、三月はさる」

             おそまつ
2007年01月10日 22:42
◆◆ 歌も一緒に歌いましょうか...

aostaさん、lavieさん、
自主トレしておいて下さい。    鬼高知

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