『小さな村のクリスマス』 (16)  ~ヘルマン編~


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 第三回目の練習は、礼拝の後のほんの20分だった。12月10日の日曜日。僕は、伴奏を録音したマルチ・トラック・レコーダーからトラック・ダウンもせずに、そのまま機材ごと教会の2階ギャラリーに持ち込んだ。そして、本番で使う録音を使っての練習を開始した。

 その前に、この日から教会の音楽監督的な役割をされているヘルマンさんが聖歌隊の練習に加わった。
そうそう、僕の勘違いをここで訂正しなくてはいけない。僕は、彼がこのクレド聖歌隊の隊長で、アグネスさんが副隊長だとずっと思っていた。そうじゃなくて、隊長がアグネスさんであり、ヘルマンさんは、聖歌隊を含む音楽的な面、ひいてはクリスマスの祝会などの総合監督を担当されているとのことだった。『隊長なのに、副隊長に任せっきりで、一度も一緒に歌ったことないじゃん。』って僕はずっと思っていた。ヘルマンさん、アグネスさん、ごめんなさい。


 ヘルマンさんは、副隊長改めアグネス隊長に頭が上がらなかったのだ。もっとも、アグネス隊長には僕もまったく頭が上がらない。(笑) これは僕たち二人の問題ではなく、男性共通の課題のようだった。(大笑)

 4日前のフォレスト・ベツレヘムの練習に現われた彼に、アグネスさんが言った。

 アグネスさん 「ドン・ホセさんは、当日は指揮するでしょう?」
 ドン・ホセ 「やらせて頂けるなら、そうしたい・・・です・・・けどぉ。」

 何とも情けない、弱っちい声だった。そんなことはお構いなしに...

 アグネスさん 「そうするとテノールがいなくなるんよ。ヘルマンさん、確か
           テノールだったよね。歌ってもらわんとねぇ。」
 ヘルマンさん 「それじゃ歌わないといけないね。四重唱にならないもんね。」
 アグネスさん 「もうみんな大分歌えるようになってるから、特訓するよ~。」
 ヘルマンさん 「そうだね、頼みます。」

 こういう話の展開にならないかなぁって思いながら、先輩に意見できない情けないドン・ホセがここにもいた。本当にオペラ「カルメン」のドン・ホセのようである。でも、思っていると実際にそうなってしまった。ずるいんだけど、それは凄いことだった。やっぱりそれはずるいから、次からは自分で言おうっと。 <(_ _)>

画像


 彼は、この日の練習に、携帯MDレコーダーを持参していた。『お、フランシスコさんと同じか? 待てよ、彼は街の楽団で笛を吹いている人だぞ、音が取れないってことはないだろう。そうか、録音して行って、家で練習して、遅れを取り戻そうってことかな。』

 半分はそうだった。でも、半分は違っていた。

 彼は笛吹きなのである。楽譜を見て、笛で音を出すことは容易にできる。ところが、だからと言って同じように歌えるかというと、それは全く別の話だ。プロのオーケストラにも、いわゆる"音痴"は沢山いると読んだことがある。頭の中で鳴っている音が、自分の声として出せないということを音痴の定義とするならば、何を隠そう、パンツをはこう、この僕も音痴である。謙遜とかでなく、音痴である。でも、自分が音痴だということを受け入れたとき、僕は歌が歌えるようになった。それまでは、正しい音程になるよう、音を探しながら歌っていた。こうした歌を聴く人からすると、それは真に頼りなげである。心配でたまらない。僕の IL DIVO Papalin の初期の作品、例えばフォーレのレクイエムの頃がそうである。でも、当たるも八卦当たらぬも八卦と開き直って歌うようになってから、プロ野球でいうなら"置きにいく球"から"勝負する球"へと変わったと思う。それを僕は練習のときに"声を置きにいってはいけない"と言っている。

 話はそれてしまったが、彼も同じだった。だから、正しい音をとるために、正しい音程で歌えるようになるために、そして自分の弱点を補うために、携帯MDレコーダーで録音して、それを聴いて練習しようというのだった。

 すごい熱の入れようというか、自分の役割をきちんと把握して、自分の役割をきちっと果たそうとする姿勢に僕は少なからず驚いていた。僕が以前入っていた合唱団では、こんな風景は見られなかった。みんな、役のついた人から与えられるのを、まるで生まれたばかりのひな鳥のように、口を開けて待っていたように思う。



 この日の練習では、まだテノールの正しい音は聴こえてこなかった。しかし、次の時にはしっかり、テノールが加わって四重唱になっていた。それは、次回(12月16日)の練習のときに録音した音を聴いてもらえばわかると思う。本番では更に自信が加わり、僕のレッジェーロのテノールとは違う、どっしりとした太いテノールの音へと成長していた。

 たった一回の練習を経ただけでこう変わってしまうのだ。恐ろしい人達だ、というか、"責任ある大人"の姿を僕は目の当たりにしていた。それは何もヘルマンさんだけでなく、ミレッラさんにも、トーマス君にも感じていた。この3人は目に見えて変わったけど、きっと他のメンバーも、自分で練習をしたことだろう。

 『ここは、大人の集団だなぁ。』

 幸せなドン・ホセだった。そして、どうしてこう毎回ドラマがあるんだろうと、僕は不思議に感じていさえした。本当に物語のネタに事欠かない人達である。そして特別な取材も必要ない。あるがままが感動的な話となってしまうのだ。

 そうそして、実はこの日の練習では、もう一つのドラマがあった。

                                        つづく



【注:登場人物・団体はすべてフィクションです。】
~~~ 感動的な本番! 物語は着実に本番に向かって進む ~~~

【写真】 教会のある原村のペンション・ヴィレッジのイルミネーション。


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この記事へのコメント

ふえふきばぁば
2006年12月31日 23:09
優しい眼差しがあればこその物語ですね。
とっても素敵です。
2007年01月01日 02:21
◆◆ とっても素敵です...

ふえふきばぁばさん、ようこそおいで下さいました。それにしても、こんなところで告白されるなんて。
*o_ _)oバタッ

ミッドナイト・ミサから今帰ってきました。またドラマがあって、僕はいつまでたっても、物語に追いつけましぇん。役者が台本を作ってくれるという、変わった物語です。(笑)

今年も宜しくお願いします。

おかげで、12月31日は、休肝日となりました、Papalinでした。

( ̄□ヾ) ネムー
2007年01月01日 10:04
あけまして
おめでとうございます。

昨年末から何かと忙しく、こちらに伺いながらもコメントを書くことが出来ないまま、年が変わってしまいました。
 遅ればせながら、旧年のお礼とご挨拶をかねて書かせていただきます。

昨年は本当に不思議な出会いと変化に満ちた年でした。ただ無事に日々が過ぎていくだけで満足していた私にとって、一昨年のpapalinさんのブログとの出会いは、眠っていたものが呼び覚まされたような喜びと、また驚きに満ちたものでした。
続いて私自身でもブログを開設するという、子どもたちに言わせれば「前代未聞」の珍事に踏み切れたのも、みなPapalinブログとそこに集う人たちとの楽しくもまた、嬉しい驚きがあったからだと思います。
 さて、幕を開けたばかりの新しい年は、どのような一年になるのでしょう。
かくありたいと言うイメージはありますが、前途は多難。真剣勝負で臨みたいと思います。

新しい年もまた、どうぞよろしくお願いいたします。
2007年01月01日 10:08
PSです。
「小さな村のクリスマス」
それぞれのコメント、おって書き込ませていただきますね。

年も押し迫っての雪でした。
ペンション・ヴィレッジのイルミネーションも凍えるような雪景色の中で、いっそうきららかに輝いています。

2007年01月01日 10:41
◆◆ 真剣勝負で臨みたい... aostaさんへ

新年、あけまして

(*^o^*)オ
(*^。^*)メ
(*^-^*)デ
(*^o^*)トー

さて、真剣勝負とは何ぞや。
「前代未聞」の二乗ということは・・・
聖歌隊の指揮者でもやりますか?

今年もよろしくです。
2007年01月01日 10:44
◆◆ イルミネーション... aostaさんへ

そうなんです。
物語用の写真が枯渇してきました。
こんなに何枚も使うことになろうとは
思ってもいませんでしたので。

素晴らしい作品が撮れました際には、
無料でお引受けいたします。

( ` 0`)o-*-o<゛-。-゛> 友情の証♪
2007年01月01日 14:57
本文趣旨と違ってごめんなさい。
音痴の克服方法、ヒントを頂いたようです。
私も、頭の中で鳴っている音と、声が一致しないんです。(^^ゞ
今年は、取り組んでみます。音を置きにいかない様に。
2007年01月01日 15:46
◆◆ 音を置きにいかない様に... 沙羅さん

そう、それやってみて下さい。
僕はこうして克服したつもりでいます。目に見えてガラッと変わるわけではなく、それはこの録音を聴いても、相変わらずのフラット癖は直っていませんが、たとえ少しぐらい音程に問題があっても、自信なさそうな声で歌うのを聴くよりずっとマシかと思う、オプティミストです。

そうそう、置きに行かない練習、外れてもいいから、ズバッとフォルテでアクセントつけて歌い始めてみて下さい。絶対に効果あると思いますよ。

\( ^o)( ^ 0 ^ )(o^ )/ なかまぁ♪
2007年01月02日 15:23
うう~む、どうしてこういつも深く同意させられてしまうのかしら。
>責任ある大人
多分に、それは聖歌隊の皆さんにとって、“歌うこと”が、神への祈りだったり、神の言葉へと至るアプローチだったりするからじゃないでしょうか?
一人ひとりに“歌う理由”というか、意味がある。
だから、うまくなるために何かをせずにはおれないんじゃないかしら?

聖歌隊じゃない合唱団だって、それは同じはずで、それぞれに歌う意味があって集ってるはずなんですけどね・・・。
私が所属してた合唱団も、毎年全国に行くような団体でありながら、選曲から曲想からひな鳥状態でした。
今は、レベル云々は別にして、一人ひとりが自立した合唱団をつくりたいと思って指導してます。そうすれば、おのずと技術は上達すると信じて、信じて・・・信じて(-_-#) 。

さあ、次はどんなドラマかな♪
2007年01月02日 17:16
◆◆ 聖歌隊じゃない合唱団だって...

ねこまっくちゃん、それ、違う!

僕も、聖歌隊じゃない合唱団だって同じはずだと思ってた。でも決定的な違いがある。それは、合唱団は自分のために歌うでしょう? そうでなければ、コンサートとか、コンクールのために歌うでしょう? それらは他でもない、自分のために歌うの。だから、練習しなければ自分が切ない思いをするだけ。

ところが、聖歌隊には、コンクールもなければ、コンサートであっても、日常の毎週の主日の礼拝と変わりないわけ。つまり、自分ではなくて、神さまに歌っているんだよね。讃美しているの。それが歌って形をとっているから、賛美歌。自分には嘘つけても、神さまには嘘つけない。神さまは、いつでも自分のことをご覧になっていらっしゃるからね。

この違いに気づいたときに、ん~と唸ったよ。

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