《本のレビュー》 『コンプレックスに勝つ人、負ける人』 鷲田小彌太 著

画像割と読む機会の多い
PHP新書なのではありますが、
胸を張ってお勧めするという
本ではないかも知れません。(笑)

なぜこの本を手に
取ったのでしょう。
それはやはり私自身に
コンプレックスがあって、
それを少しでも緩和したい、
克服できる人はいったい
何をしているのか知りたい、
そう思ったことは
間違いありません。

最初のページのタイトル
「劣等感のない人間は鈍感である」
には共感しました。

そしてその冒頭に書かれていたことにも。
コンプレックスという言葉そのものは、べつに否定的ではないわけです。・・・ コンプレックスは日本語では「劣等感」の意味で使われていますが、正確には、劣等感は inferiority complex です。英語のコンプレックスの意味は、  「複合感情」。人間の感情が単純であるはずはないので、その意味では、  だれもがコンプレックスをもっているわけです。


なるほど、そうなのか。確かに"複雑な"という形容詞は complex だ。日本語のコンプレックスとはそういう関係にあったのだなと、ちょっと感心しました。そして ・・・
劣等感を感じないような人間、あるいは自分には劣等感などないと思っている人間というのは、いってみれば鈍感なだけだと思います。鈍感とは、sensitiveの反対で、senseがないということです。


出だし好調です。センスがないということ・・・ そうかぁと、これまた感嘆!
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まぁ本の中で言っていることは頷けるのですが、上記のようなスパッとしたものの言いようが段々紋切り型に感じてきて、ちょっと鼻につくのです。極めつけは、容姿に関するコンプレックスについての項で、松○慶子と泉ピ○子を名指しで引き合いに出しています。当然、ご本人たちの了解は得ているものと思われますが、それにしても、読んでいて気持ちのよいものではありませんね。

実はこのことについては、私はある面、自分を鏡に映したようで嫌だったのです。ブラック・ジョークがきつ過ぎるといえば聞こえがいいのですが、デリカシーに欠けるところが自分にはありますので、嫌だったのです。他人の振り見て我が振り直します。 ぺこ <(_ _)>

この本は前半は読む必要がないかも知れません。話の前置きに本の半分のページを費やしているといった感じで、ちょっと辟易しちゃいました。そして同じことを何度も繰り返すのがちょっと...。読者を小馬鹿にしているような感じがして、もしかしてサブリミナル効果でも狙っているのではないかと思ってしまいました。

しかし後半は、ふむふむと頷ける箇所が随所に出て参りました。

・知的コンプレックスを持つということは、
     自分が知的でありたいと思っていること。

・現代において「知的」であるということは、自分の生き方、仕事、世界に
     対する関心の持ち方、人間関係のふれあい方といったことに
     対して、ある程度、きちんと考えることができる人

・認められたいというのであれば、まずは相手を認めることです。
     そのためには、人間関係にあまりキリキリしないこと。私はある
     時期から、人からどんなことをいわれても、怒らずにニコニコでき
     るようになりました。

・認められたい欲望は、コンプレックスのなかでもいちばん底流にある
     感情ですが、それは正常な感情でもあります。

・自分が相手を認める基準を、相手が自分を認める基準よりも一段低く
     してごらんなさい。同程度だと思ったら、自分のほうが劣ってい
     ると思ったほうがいいんです。そのことを心得ると、ずっと気分は
     楽になります。

・人間はよくも悪くも、互いに認め合って生きたい存在なのです。そうす
     ることに喜びを感じる生き物なのです。愛する方がいいか、愛さ
     れる方がいいか、そんなのは愚問ですよ。どちらもあってはじめ
     て必要十分条件。片方だけが成立することなど、現実にはあり
     えない。


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この記事へのコメント

2006年11月28日 23:43
こんばんは。

コンプレックス、小さい頃から沢山ありました。背が高い、じゃなくて高すぎること(あの頃の女の子の基準からすれば)、運動が出来ないこと。中学生になってからは数学が苦手だったこと(高校になって致命的な苦手科目となりました)でも、それにはみんな言い訳をつけていました。背が高いのは、私の責任じゃない。運動は、もともと好きじゃないから出来なくたって平気。私は文系の人間なんだから数学は苦手でも困らない、等々・・・
 みんな"所詮言い訳”でしかないのですが、見て見ぬふりをすることで自分を甘やかしてきたことは事実です。
でも・・・。
どんなにごまかそうとしてもごまかせないコンプレックスがあります。それはいまだに尾を引いて私を不安にさせ、哀しい思いにさせるものです。
何故、そこから抜け出せないのか。それは多分このコンプレックスの対象が私にとってかけがえのないものだから。それだけにコンプレックスの原因となっている事実を大きな痛みとして感じてきました。
2006年11月28日 23:44
でも最近は、少し違う風が吹いてきたみたい。
いまの私と「かくありたい自分」が、違うことを認めること、それはあきらめることではなくて、自分に優しくすることでもあるのかもしれない、と思うようになったからです。
手が届くところから、自分が変わっていかれればいい、そんな風に思えるようになったのは、励ましてくれる良き友人がいてくれたおかげです。

もう自分はかわりっこない、と思ってしまえばそこでおしまい。
いくつになっても人は変われるのだとも思います。コンプレックスがあればこそ変われることもあるのだと思えるようになりました。
windy
2006年11月29日 00:07
コンプレックス…昔はずいぶんありましたし、さんざん悩んだ時期もありました。でも経験を(いや~ってほど)つんで、今は少し楽になれたかもしれません。
他人と比べることがなくなったのが大きな一つでしょう。これは単に頑固になっただけかもしれませんが、でもやっと自分ができる範囲が見えてきて…そのラインをだんだんはっきりさせることができたせいかと思います。
諦めたのか?と言われたら、たしかにそうかもしれません。でも“諦める”とは“明らめる”つまり明らかにすることと、前向きにとらえてます。
ま、負け犬の遠吠えかもしれませんけどね~(笑) 今日も笑顔で生きていきます。
2006年11月29日 00:15
◆◆ 小さい頃から沢山... aostaさんへ

お~、このブログのコメントは、懺悔といいますか、分かち合いと言いますか、そんなコメント欄となりそうな予感がするなぁ。

僕も、コンプレックスがあるからこそ、この本を読んだと打ち明けました。そのコンプレックス、複合感情は、ん~~~、またね。

aostaさんの場合・・・

背が高い ⇒ 運動選手になれと誘われる ⇒ 運動が嫌いになる ⇒ お勉強や読書の好きな子になる ⇒ 算数は苦手になる

というストーリーが目に浮かびました。勝手な想像ですね。そんな簡単なものではないと思いますが、でも関連性はあるかも知れませんよ。

一旦抱いたコンプレックスは消え去ることはないと思います。でも、コンプレックスが人を成長させるのなら、隠さないで、少なくとも自分はそのコンプレックスに付き合ってやってもいいじゃありませんか・・・。そう思えるようになりました。

(^^♪
2006年11月29日 00:24
◆◆ いくつになっても人は... aostaさんへ

変われるって、大事なことですね。

僕の持論ですが、人間は年をとると頑固になる、因業になる。これって、きっと目が遠くなるという老化現象との因果関係を感じます。目が遠くなると、文字を読むのが辛くなります。本を読まなくなる、すると、それまで生きてきた自分の経験や考え方が前面に出てくる。すると、読まないだけでなく、聞かなくなる。と、こんな具合です。もちろん、年をとっても、本を読んで成長し続けていらっしゃる方は沢山存じております。でも、一般的にはそうなのかなぁなんて思いました。

aostaさんは、変われる自分を正しく自己評価されている・・・素晴らしいことです。

いいお友達をお持ちですね...。
(≧∇≦)ъ ナイス!
2006年11月29日 01:10
◆◆ "諦める"とは"明らめる" Windyさん

上手いことを仰る!
詳らかにしてそれを認めるってことですね。
お勉強になります。

僕もコンプレックスに苛まれていた頃は、他人と自分を比べていました。あるとき、それはやめました。だって、自分のすぐそばには、たとえそういう人がいなかったとしても、世界が広がれば絶対に自分よりも遥かに大きな人に出会いますものね。人類の歴史を紐解いたら、自分なんてちっぽけな人間ですよ。それを比べてコンプレックスを抱くこと自体が馬鹿げたことだと思いました。

でも、そのときに二つ学びました。

1)素晴らしい人は、常に勉強している。
2)自分は、過去の自分と比べよう。

後者の目で、自分の成長を素直に評価できたらそれでよしとすることにしました。

(*^^)v v(^^*) ピース!

PS:
四十歳は不惑・・・
僕は、そうあらねばならないと、背伸びをしました。でも、破綻しました。ですから、四十代で不惑は、僕の場合は、ありえませんでした。ありえないということをも認めたこと、必要だったかなと思っています。
windy
2006年11月29日 01:30
僕も四十で惑いっぱなしでした!そしてなお未だ惑ってます。
そう、でも人生終わりまで勉強ですものね。事態を前向きに受け入れて、楽しんでいきましょうね~!少なくとも気構えだけは…。


aostaさん…

勝手な想像で、もっと背が低い方かと思い込んでおりました。失礼しました~(汗)
2006年11月29日 01:44
◆◆ 人生終わりまで勉強... Windyさんへ

そうですよね~。わかっちゃいるんですが、なかなかそれができないと言いますか、不十分でごさいまシカ・・・あ、こっちは違った・・・ございまして、不惑のアッパーバー(否定形)でございます。

aostaさんの身長ご存知なかったのですね?
なぜバレーボールの日本代表にならなかったのかが不思議なくらいです。ゆうに190cmは越えていますから!

ちなみに僕は170cmです。
6尺ほしかったなぁ。
2006年11月29日 01:45
windyさん

こんばんは。
windyさんがお背が高い方だということはどなたかからか伺って存じてりました(笑)
私については・・・
そうですよね、今まで何も言っておりませんし。
中学校のとき新しく担任の先生になった人に言われた言葉が「おれより大きい!」でした。
そのときが163cm
その後もすくすく伸びてプラス○cm。
現在は、よる年波で、少し縮んだかも知れませんが(笑)

 昔から「小さくて可愛い女の子」にあこがれました。背が高いというだけで人より目立つのがすごく嫌でした。洋服も、靴も着たいものを着ることが出来ず、お洒落には縁のない高校生でした。今でいうトールサイズがなかった時代のお話です。

2006年11月29日 02:01
◆◆ 「おれより大きい!」 aostaさんへ

こういう何気ない一言が傷つくんですよね。先生もそんな風になるなんて、思ってもいなかったでしょうし、今でも知らないでしょうね。

でも、190cm超だったら仕方ないね。
2006年11月29日 09:11
まぁ、aostaさんの「劣等感」とおっしゃるもの、みーんなわたしと同じです!
ただし、数学も体育も算数の時代から、つまり筋金入りです。
(背丈だけは、中学をすぎてみんなに追い越されちゃいましたけどね)
数Ⅲの学年末試験は、せっせと解答用紙の裏側にお手紙書いて、先生に許してもらいました。
図書館の本をあらかた読んでたことをたまたまその先生が知り、こいつは遊んでるだけじゃないんだということで、卒業させていただきましたが。
(大学に入って、経済数学を登録なしでとり、こんなにおもしろいことだったと気がつくとは思いませんでした)
不得手科目にはそれからもいろいろなものが追加されましたが、できない自分をみていると、できるひとがとっても素敵に思えて尊敬できちゃう。
やっぱり、ぬけてるのね・・・
windy
2006年11月29日 09:14
aostaさん

おはようございます。
僕は“公称”176cm、当時としては大きいほうでした。今ではもうほとんど目立たない程度ですね…。僕も180は欲しかったなぁ~!
女性は165もあれば大女と言われた時代でしたし、自分ではどうしようもないこと…お嫌だったでしょうね…。
この思いはまだ持ってらっしゃるのですか?今は身長の高い女性もすごくふえてるし、服や靴もいくらでもありますよね!そうなると逆に身長があった方が、いろんなものをカッコ良く着こなせると思うし着映えますよ!
禍転じて福となすで…楽しむ気持ちにはなれませんか?いかがでしょう…。
2006年11月29日 09:19
でも、わたしのつらかったのは
言葉を共有する人がいなかったこと。

それがひとりふえまたひとりみつかり・・・
惑いは消えずとも
生きてることは捨てたもんじゃないと。
わたしのそばに、つねに立っていた
鎌を持つ少女のかげに
おののくことがいくらか減ったといえる今日この頃かな。
ますます、鈍くなったということ?
2006年11月29日 09:59
というわけで・・・(何が?)
Papalinさん、「勝つ、負ける」という発想はわたしにはなじみませんわ・・・(ゴメン)
風の森
2006年11月29日 14:21
コンプレックスがなければ向上心も芽生えない。でも、それが過度だと卑しくなります。何事も程度問題ですね。
私は今まで大勢のお年寄りに出会いましたが、劣等感の強い人ほど優越感も人一倍強かったです。このふたつは まさに表裏一体で、どこで引っくり返るのか、言動が一致しないことが多いので、そのような方には特にプライドを傷付けない気遣いが必要となります。
「○○」って言ってるけど、本当は「××」を希望してるんだろうな・・・などと先回りして喜ばれたり、深読みしすぎて失敗したり、あまり構えすぎて不安を見透かされたり。
誰にも共通して大切なのは、ありのままの相手&自分を受け容れることの出来る 豊かなこころの状態でいる、ということだと思います。
あまり小さなことを気に病むのはやめましょう。健やかな今日があればそれでいい。幾山河越えきた老人に比べれば、明日が見える私たちのコンプレックスなど取るに足らないものです。きっと克服できます。
・・・とはいうものの。
 <いただきに捨て来しはずのかなしみが
     山を下りれば吸い寄りてくる>
のも事実で。
2006年11月29日 21:09
Papalinさぁ~ん(泣)

いくらなんでも190cmなんて。
誰か信じたらどうしましょう。
誰も信じませんよね。だって、あまりにも非現実的な数字ですもの。
2006年11月29日 21:26
Suzukaさん、数学の答案用紙の裏にお手紙・・・の一言に笑ってしまいました。
だって、私と同じなんですもの。
解答欄には何もかけない分、裏にはびっしりお手紙が、というところでは、笑ってしまいました。
だって、私も同じだったんですもの。
解答欄に何もかけない分、裏面にはお手紙やら感想文やら創作めいたものまで、あらゆることを書きましたっけ。そのたびに、というわけではないのですがときどき先生からお返事を頂くこともありました(笑)。だからでしょうか、数学は嫌いでも数学の先生は好きでした。
自分には理解できない複雑な数式をいとも簡単に解いて、爽やかな説明をしてくださった先生でした。
2006年11月29日 21:30
Suzukaさん、ごめんなさい。夕べ遅かったためかまだ早いのにとにかく眠い・・・
朦朧とした頭で書いていましたらこんなんになってしまいまし。
windy
2006年11月29日 22:01
aostaさん…

大丈夫ですよ!いくらなんでもPapalinさんの190説なんか…誰も信じたりしませんから(笑)
でもそちらに伺うときのために、昔はいてたロンドンブーツ(ご存知ですか?)をまた探さないと…。

僕は大学の哲学の試験で、答案にダルマさんの絵を描いて“参りました。手も足も出ません。来年もう一年やります。”って書いたら…『可』をくれましたっけ!
2006年11月30日 00:45
◆◆ 図書館の本をあらかた... Suzukaさんへ

すんげ~。
このブログには、歩く図書館が最低二人はいるわけだ。あらかたって、殆ど全部っていう意味の副詞だよね。ということは数学書も読まれたの?(僕イヂメテナイヨ)

Suzukaさんも、背が高くて、体育が苦手で、数学が嫌いだったのね。あ~、aostaさんと被ってきた。これは嬉しいことなのですよね。そうだよ、そうだよ。

(>。<)y-゜゜゜ゴホッゴホッ
2006年11月30日 00:48
◆◆ 僕は"公称"176cm... Windyさんへ

今の高校3年生の男の子の平均身長って、ゆうに170cmを越えていますよね。僕も平均以下っていうことです。まぁ、保育園から中学3年生までの10年ちょっと、ずっと前から二番目だったことを考えたら成長したわいな。今では横も膨らんじゃってさ。(笑)
2006年11月30日 00:50
◆◆ 鎌を持つ少女... Suzukaさんへ

その人って、風とか森とか好き?
2006年11月30日 00:53
◆◆ 勝つ、負けるという発想... Suzukaさん

それは「コンプレックスに」という行間があると思っていいの?

現代社会で食べていくには、一部の公務員さんとかを除いて、勝ち負けは避けて通れませんものね。せめてプライベートくらい、肩の荷を降ろして生きたいものです。

(*´ー`) フッ
2006年11月30日 01:00
◆◆ 豊かなこころの状態で... 風の森さん

はい、それが僕の生きる指針です。
豊かなのは心だけぢゃなくて、身体もです。

(o_ _)ノ彡☆バンバン ギャハハハ
2006年11月30日 01:11
◆◆ 非現実的な数字... aostaさんへ

あらら。それは、190cm以上ある方への差別発言ですよ。では、改めて訂正いたしましょう。189.9cmでしたっけ?
2006年11月30日 01:14
◆◆ 数学の先生は好き... aostaさんへ

きっと、Suzukaさんからのお返事があるとするならば、「あら、私もです。」だろうな。

ひょっとして、腹違い種違いのツインだったりしますぅ?

"く(""0"")>なんてこった!!"
2006年11月30日 01:16
◆◆ しまいまし。 aostaさんへ

すんげ~臨場感!
(≧∇≦)ぶぁっはっはっ!!
2006年11月30日 01:22
◆◆ 答案にダルマさんの絵... Windyさんへ

あれ、190cm説は全然スルーパスでした?
なぜだろう。189.9cmに修正しておきました。

だるまですかぁ。時代を感じます。
僕は...だるまを書ける勇気もありませんでした。だって、答案はいつも正解で埋め尽くされていましたから。

なわけないだろ?
_(._.)_ ユルシテ
2006年11月30日 08:21
aostaさん

数学の先生、もちろんだーいすきでした(除く数ⅡB)
数Ⅲのその先生は、結婚式にも参列していただきました。
もちろん、「数学ができなかった」というエピソードを披露してくださいましたとも。
windyちゃんの歌を聴いて、ほかにも芸があったんだと苦笑していましたっけ。(われわれふたりとも先生の頭痛の種でしたからね。うーん、彼は違ったかな?)
絵のおじょうずな方でもありました。
2006年11月30日 08:31
Papalinさん

ごめんね~
県内で一番の蔵書量をほこる母校の図書館は、読みつくすには一生では足りんかもしれません。
ここは、(自分の興味のあるものは)という大きな限定が必要です。(なんだ、ぜーんぜん、違うじゃん。はいはい、脚色過多、おわびします)
でも、「青年の環」を読破してたのはわたしだけだったかな。

半月の鎌を持ってるのは、つまり死神です。
びんぼーがみと仲良くなるコツを覚えたせいでしょうかね。ここのところ、共存しております。

2006年11月30日 08:41
>行間があると

はい、その通りです。
ついでにいうと、このキャッチコピーにむかっ腹を立て、「はうつー本じゃん!」とおとなげない反応をして、最初は黙っていようと思ったのに、aostaさんのコメントに共感してよけいなっことまで書いたあげく、本音をもらしちゃったというわけです。
本性バレバレ・・・
2006年11月30日 22:51
◆◆ もちろんだーいすき... Suzukaさんへ

ほ~ら、来た来た! 予言通りじゃ!

僕の物理の先生は、手兵の合唱団を全国大会銅賞にまで育て上げた先生でした。その頃僕は器楽専門だったので、お構いなしだったのですが、かの先生が男声合唱団を設立されたときに、無理やり引っ張り出されました。おかげで、IL DIVO Papalinの男声合唱シリーズができたわけです。

物理と合唱、この取り合わせが不思議でした。
2006年11月30日 23:09
◆◆ つまり死神です... Suzukaさんへ

あぁそうか。
そういえば、タロット・カードの死神、半月の鎌を持っていましたっけ。相変わらず勘の鈍いPapalinでした。

m(;∇;)m ゴメンネ

その読書量には敬服致しております。
達磨状態でございます。
2006年11月30日 23:15
◆◆ キャッチコピーに... Suzukaさんへ

そうだろうと思っていましたよ。(笑)
僕も、普段はこの手のものには手を出しません。なぜ出したのでしょう? それは秘密です。

でも、最近変わってきたことがあります。
僕の中ではいつも、What、つまり、Goalとか、目標とか、本質が大事でした。だから、そこに至る過程は高が手段に過ぎず、言ってみればどうでもいいこと、目標を成し遂げればよい・・・という考え方だったのですが、その手段の重要性にやっと気づいてきたんです。

目標をあまりに意識し過ぎるが故の未到達、そういうことってないですか? ところが、手段に目を向けて、やってみたら、結果、できちゃったってこと。僕だけかなぁ・・・。

逆立ち /(。O。)\
lavie
2006年12月03日 09:23
papalinの予想通り、このブログ、盛り上がってましたね。
コンプレックス、ない人はいないのでしょうが、妙に自信たっぷりの人もいて、人の意見を聞かない人も少なくないですね。そんなに自信があるのがうらやましくもないですが、なかなか自分には、自信を持てません。
そんな自分も人が褒めてくれると、ぐ~んとうれしくなる自分を感じます。
『・認められたい欲望は、コンプレックスのなかでもいちばん底流にある感情ですが、それは正常な感情でもあります。』というのに共感します。
小学校時代、田舎でのほほんとすごした私が、ある付属中(ある意味都会)に進学することになってしまい、その後、コンプレックスの固まりみたいな人間、少女になってしまいました。常に目立たないように人目に触れないように自分を出さないようにひっそりと暮らしていました。3年生頃には、慣れて、自分が出せたかな?多感な中学生時代、振り返れば、一番楽しかったです。
2006年12月03日 09:29
◆◆ 常に目立たないように... lavieさんへ

あはは。lavieさんにも、そういう時代があったのですね。認められたい・・・誰にでもあると思います。自信たっぷりの人には、それが膨張しているかもしれません。誰しも、普通に持っている思い。私はいつまでも純粋なlavieさんを認めていますよ。

(^-^ ) ニコッ
lavie
2006年12月03日 11:28
◇常に目立たないように...
 ってことは、papalinにはありえないようなことでしょうね。くふふ。
 そうなんです。小学校時代は、どちらかというと目立ってたかもしれません。何もしてなくても。でも、中学校は、頭のいい人やきれいな人?がたくさんいて、わ~、私は、何もいいところがな~い・・ってことになってしまいました。でも、その分その後努力したかもしれません。
今、掲示板の方でお知らせした、BSで大分生放送をしているのですが、見ていらっしゃいますか?長さ175メートル高さ315の橋ですよ。
2006年12月03日 17:32
◆◆ その分その後努力した... lavieさん

多感な頃ですね。努力したってのがスゴイヤ。で、今は超美人ってこと?
(o^<^)o クスッ

ごめんなさい。そのお時間は出かけておりました。さぞ恐い橋でしょうね。僕はちょっと足がすくみそうです。
。・°°・(>_<)・°°・。 ウエーン
lavie
2006年12月03日 22:03
努力の根本は、恋のなせる技・・?ですよ。
かしこくなりました。
中3の時が、一番かしこくて、以後、下降気味です。頂点は、15才でした。
2006年12月03日 22:08
◆◆ 恋のなせる技... lavieさんへ

うぉ~~~~!
こんなところで、こくるかぁ~~~~?
|||||/( ̄ロ ̄;)\||||||| まじ~~?

あの人に認められたい、あの人に振り向いて欲しい・・・これって、いつまでももち続けていたい気持ちですよ。死ぬまでそういう憧れの人がいたらいいなぁ・・・。

頂点は15歳だなんて、またまた~。
それ以来、頂点が続いているんでしょ?
(-^〇^-) ハハハハ
lavie
2006年12月04日 21:23
◇あの人に認められたい、あの人に振り向いて欲しい・・・
 なんで、papalin、分かっちゃったの?
婉曲表現で書いたのに。papalinも恋の道に詳しいのね!
思春期の恋は、切なくて、苦しい。ちょっとしたことに傷ついて、ちょっとしたことに大喜び。でも、その時は、ちょっとしたことではなくて、大変なことだったんですね。
lavie
2006年12月04日 21:30
それから、今日は、月が帰り道、とってもきれいでした。東に向かって帰るので、目の前にぽっかりと満月。天気もよくて、山の端に見事でした。
そして、いつもは邪魔な電線が、今日は、なんと五線譜(ほんとは十線譜ぐらい)になり、その間にぽっかりと音符♪のような月が。
全音符でした。感激しました。
papalinは全音符お月さんを見ましたか?
2006年12月05日 07:58
◆◆ 婉曲表現で書いたのに... lavieさんへ

lavieさん、僕は思うのです。
長い人生において、そのときすべきことを私たちは教育とか躾でされてきますが、そのとき感じるべきことも、きちんと感じなければならないと。ちょっとまだらっこしい言い方ですが、恋する切ない想いとか、小動物をいじめて、命の不思議さ・大切さを感じてくるとか、友達を思って心を痛めるとか。

そういうのが、一人前の大人を形成するために欠かせない経験であると・・・。
2006年12月05日 08:01
◆◆ 今日は、なんと五線譜... lavieさんへ

上手いこと言うね。(笑)

はいはい、見ましたよ。十四夜くらいでしたかね。とっても明るくて、星の数がぐんと減ってしまいました。

lavieさんって、本当にお月様が好きですね。きっと前世は夜の女王だったのでしょう。

フフフ ( ̄+ー ̄)キラーン
lavie
2006年12月05日 23:04
わかりましたぁ・・?かぐや姫だったんです。
でも、本当に伝えたかったことは、月の美しさを見せてくれた夕方のお天気に感謝するということだったんです。
というのも、今日は、全く同じようなシツエーションでも月は見えませんでした。曇り空だったから。昨日は、月を見せてくれた空がとってもありがたかったんです。ほんとにありがとうっていう気持ち。
自然の美しさっていいですね。私は、何度もこの自然の美しさに助けられました。
papalinの雪山のお写真も見入ってしまいました。うっとりです。
2006年12月05日 23:46
◆◆ 曇り空だったから... lavieさんへ

あらま。こちらも朧月夜だったのです。家に帰ったらあの輪郭の曖昧なお月様を写真に収めようと思って、カメラをごそごそ準備して庭に出たら、ありゃりゃ、靄もない、雲もない、晴天じゃん!

ということで、今宵は満月がくっきりとカメラに収まりました。

あれ、かぐや姫は、おじいさん、おばあさんに助けられたんじゃなかったっけ?

(o^<^)o クスッ

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