《本のレビュー》 『アルケミスト』 パウロ・コエーリョ 山川紘也+山川亜希子=訳

 いい本に出会いました。まずはブックカバーの要約から。

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--- 羊飼いの少年サンチャゴは、アンダルシアの平原からエジプトのピラミッドに向けて旅に出た。そこに、彼を待つ宝物が隠されているという夢を信じて。
「何かを強く望めば宇宙の全てが協力して実現するように助けてくれる」「前兆に従うこと」少年は、錬金術師の導きと度のさまざまな出会いと別れのなかで、人生の知恵を学んでいく。
欧米をはじめ世界中でベストセラーとなった夢と勇気の物語。 ---

・行動をおこさなければ何も始まりはしない。
・錬金術師に出会って、鉛を金に変える術を教えてもらうことのみを
 願っていたのでは、幸せを手に入れることはできない。
・自らの考えをもち、その考えに自信をもって歩んでいくこと。

 そんなことを感じとりました。文庫のあとがきにあるような、夢をもち、夢を大切に、夢に向かって歩む人生が素晴らしいのだ --- だけではないと思います。夢は向こうからはやってこないのです。取りに行くのです。そして学ぶのでしょう。

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PS:蛇足ですが、我が家に一番似合う薔薇、シンボル・ツリーならぬ、シンボル・ローズなるものがあるとしたら、アルケミスト。ずっとそう思っていました。

【写真1】 角川文庫 アルケミスト 表紙カバー
【写真2】 我が家の薔薇:アルケミスト(シュラブ)

この記事へのコメント

クララ
2006年08月31日 19:18
>夢が叶うことだけを願っていたのでは幸せを手に入れることは出来ない
んー!全くそうだ!
自分から取りに行く、取りに行きたいと努力して、最後に願うこと。
一つを諦めて一つを手に入れる。
世の中甘くはない!
望む物全てを手に入れることは出来ない。
>自らの考えを持ち・・・
何が今の自分にとって大切か、自分で考えて結論を出す。
苦しい選択もあるけれど、後悔はしない。
自分で決めた生き方だから。
そうして手に入れた、
八ヶ岳での暮らし・・・
dog@最近、本読んでない
2006年08月31日 22:24
皆様、こんばんは。
アルケミスト・・・どこかで聴いた言葉?!
Papalinから教えて頂いたGoogleで調べて
みたら、「錬金術師」のことなんですね。

読んだことないので、この本の内容は全く
判りませんが・・・なんとなく想像しました。
いろんなことを。

Papalinはリコーダーで、僕はギターで
「苦しみ」や「悲しさ」を「楽しさ」や
「癒し」に変えれる「アルケミスト」
かも知れませんね。(手前味噌?・・・笑)

珍しく「読んでみたい」と思いました。
たまには「音の無い世界」に没頭したい。
かも?
2006年08月31日 23:23
◆◆ 後悔はしない... クララさんへ

 またまた、お久し振りです。当方、随分と長い休養期間になってしまいました。でも、そろそろ新しいホームページが完成します。

 さて、クララさん。八ヶ岳山麓に居を構えるに当たっては、慣れ親しんだ大分での暮らし、友人・知人との別れ、様々な決断が必要だったでしょう。それでもクララさんご夫妻を"決断と実行"に移させたもの、それは大きな"思い"だったのでしょうね。後悔しないと言っても、辛いことも沢山あったでしょう。でも、今では八ヶ岳を始めとして、信州・甲州については地元民の私よりお詳しい。大切な宝物を手に入れましたね。クララさんのアルケミストですね。
2006年08月31日 23:28
◆◆ 読んでみたい... dogachanへ

 お久し振りです。義理を欠いております、すみませんです。

 錬金術師、憧れの対象。僕の音楽は錬金はできていないだろうなぁ。換金もできないなぁ。あ、そうだ、練炭の同じくらいの暖かさはあるかも。(自音自賛・・・笑)

 文庫本で200頁足らずです。何だかんだで読むのに3週間くらいかかりました。(哀) ぜひ読んでみて下さい。作者の経歴にも驚かされますよ。
2006年09月01日 08:19
アルケミスト
職場の玄関に植えています
Papalinさんも、お好きでしたか!
いい本を、御紹介いただき、感謝
2006年09月01日 08:31
◆◆ 職場の玄関に... takasiさんへ

 ご無沙汰して申し訳ありません。
 アルケミスト、不思議な薔薇です。まさに錬金術師という名前に相応しい。いい薔薇ですね。
lavie
2006年09月02日 14:04
papalin家の素敵な壁をつたっているこのバラ。私は、このバラがずっと素敵だと思ってました。「アンジェラ」はpapalinが連呼しているので、いやでも覚えたのですが、このバラの名前は、今日、知りました。バラの名前って、人の名前も多いですが、どういうふうにつけられるのでしょうね。
lavie
2006年09月02日 14:20
それから、私が最近読んだ本なんですが、
「出口のない海」。
間もなく映画公開ということですが、人間魚雷「回天」の話です。
この「回天」は山口県徳山の大津島から発射されています。子どもが小6のとき、この島を訪ねました。私の父が、学徒動員で、海軍工廠で回天を作っていたということも聞きました。そのころから「回天」についてすごく関心を持つようになったんです。悲しい話なので、映画は見に行かないかと思います。
2006年09月02日 21:33
◆◆ バラの名前って... lavieさんへ

 難しいご質問を頂きました。Papalinの浅い知識によりますと、薔薇の名前の決定権は、その薔薇の作出者にあるようです。人の名前が多いのは、作出者の意中の特定の人に捧げられるためだと思われます。

 ちなみに、プリンセス・ミチコ、プリンセス・アイコという薔薇は、日本で生まれました。あれ? 一人欠けてないか? そうです。雅子さまには、かのイングリッシュ・ローズの生みの親、デイヴィッド・オースチンさんが捧げているのですね。その薔薇の名前が不思議なんです。日本では"マサコ"、英国では"エグランタイン(Eglantyne)"と言います。20世紀初頭の英国の慈善事業家エグランタイン・ジェブの功績を顕彰sgひて名づけられたようです。同じ淡いピンクの薔薇が、洋の東西で名前が違うんですね。ここからは私見ですが、僕は雅子さまが好きなので、D・オースティン氏がEn.Rを捧げたというのが嬉しいです。(贔)
2006年09月02日 21:38
◆◆ 出口のない海... lavieさんへ

 興味を引くタイトルです。僕はその話は知りませんが、父が太平洋戦争で、断水で話題の広島県の呉港から台湾に出兵しました。父は、呉にも辛い思い出があり、台湾にもあり、晩年に、台湾への家族旅行を提案したときに、顔を曇らせました。なのでグアム島になりました。戦争の傷、イラクへの国連軍の派兵でもそうみたいですが、必ずしも時が解決してくれるものではないようですね。戦争はいけません。
lavie
2006年09月03日 15:36
戦争はいけない 
でも、未だに戦争は・・・
湾岸戦争の時に正義という言葉が都合の良いように使われていることを知りました。自分たちにとっての正義。戦争も双方から見れば解釈は随分違います。
 お父様が無事ご帰還されたので、今のpapalinがあるのですね。お若いときの体験ですね。うちの父も海軍工廠でのことは、話したがりません。でも、戦争のことを何も聞いていなかったらいけないという想いで、父の話を聞きました。父は、小6の息子にもわかりやすいように作文してくれました。
 こうして、書いていると、次は、aostaさんが出てきてくださるように思うのですが。最近、お目にかかっていませんが、お元気でしょうか。
いかがですか、aostaさん!
2006年09月04日 00:43
◆◆ 話したがりません... lavieさんへ

 やっぱりそうなのですね。思い出したくない、戦争という大義名分で、人が人を殺す・・・・・耐えられないことでしょう。どんな理由があっても、戦争はいけません。戦争は・・・・・

 でも、北朝鮮がミサイルを発射したらどうしましょう。防衛としての迎撃は必要でしょうね。

 でも、兵器や自衛隊にお金を使い、隊員や兵士の心に目に見えない、その人だけにしかわからない大きな傷を残すこと、海外も同じでしょうが、あってはならないことのように感ずるのです。

 辛い気持ちをおして、お孫さんに文字を残されたお父様、尊敬致します。
aosta
2006年10月04日 06:02
lavieさん
遅くなりました。
思いつきをすぐに書き込むのとはちょっとちがうことなので、何をどう、書いたらいいのか、ちょっと迷いました。

私の父は、最後まで戦争体験を語ろうとしないまま5年前逝きました。
やせさらばえて骨と皮だけになってしまったその肩口に生々しく残っていた傷跡。
銃創でした。
中国南部で終戦を迎えたという話を思い出しました。子供の頃、父と一緒に緒に風呂に入ってその傷跡について、聴いたことがありましたが、
まだあまりにも小さすぎたであろう私に、なんの説明もしてはくれませんでした。
父の死後、愛用していた机の引き出しから一冊のスケッチブックがでてきました。
aosta
2006年10月04日 06:03
河の中で水牛にまたがって笑う幼い少年。
華やかな民族衣装を着て微笑む少女。
しかしそれは間違いなく戦時下の中国でのスケッチでした。
違うページには、ずた袋のように身体を丸めて仮眠を取る男の絵。
屋根が何層にも重なったふるい寺院の前で整列する兵士たち。
それぞれの絵には、まだういういしい父のコメントが書き添えられていました。
子供たちに対する開けっ放しの愛情。
行軍の辛さ悲しさ。腹が減って仕方ないことなどなど・・・
昔は画家か建築家になりたかった」お酒をを飲みながら、そうつぶやいた父は、もう若くありませんでした。ほとんど「晩年」と言っても良い頃だったと思います。
テレビ番組を見ていても、戦争の話になると表情が硬くなりました。憲法改正には絶対反対でした。けれども、「君が代」が流れると私たちにも正座を強いました。
この歌の元に死んでいった数え切れない人々のために、襟を正差無くてはならないというのが乳の気持ちでした。
aosta
2006年10月04日 06:14
母方の叔父は、土浦の飛行場から飛び立ったまま帰らぬ人となりました。
まだ19歳でした。
その叔父が海軍飛行学校(?)に入学したとき、小さな町は総出で旗を振って見送ったそうです。8人兄弟の長子にして長男でした。
「兄さんが生きていてくれたら・・・」そのすぐ下の妹で長女だった母は、叔父の死後私たちには語れぬ苦労があったようです。
戦争直後の東京で働きながら、収入のほとんどは仕送りに当てたと聴いたことがありました。
その母の後悔は、末の弟を大学に出して挙げられなかったことでした。経済的な理由もあったでしょうが、若いときから結核で無理が利かない身体でした。「栄養のあるものを食べさせてあげられなかったから・・・」母はそうも言っていました。私にクラッシク音楽の喜びを、推理小説の面白さを教えてくれたのは、この叔父でした。
2006年10月04日 08:55
◆◆ lavieさん、書いてきました... aostaさん

 読ませて戴いただきました。
lavie
2006年10月04日 21:12
aostaさん、たくさんのコメント、ありがとうございます。
お父様、お辛い体験をされたのですね。私たちが、想像もできない苦難、苦行だったことでしょう。
私の父は、今年喜寿ですが、お父様は、何歳でお亡くなりになったのでしょうか?きっと、うちの父よりは、お年が上だと思います。
>憲法改正には絶対反対でした。けれども、「君が代」が流れると私たちにも正座を強いました。
この一文は、何度も読み返しました。「君が代」の持つ意味、改めて考えさせられました。
「出口のない海」は佐々部監督の作品で、舞台は、山口県の瀬戸内海の島です。私は、回天の事実を知ったとき、衝撃を受けました。特攻隊は知っていましたが、知覧など、遠い場所の話のように思っていたところがありました。あまりに身近でした。
戦争は、語り継がなければいけませんが、語れない気持ちの方々の心情も察せられます。映画は、観に行こうという職場の人は多いですよ。
2006年10月05日 00:14
◆◆ 戦争体験を語ろうとしないまま...

 aostaさん、私の父もそうでした。最期まで語りませんでした。その思い、若い頃は理解できなかったのですが、最初で最後の親孝行のつもりで安易に提案した10年前の台湾旅行、父はやはり反対しました。サイパンも。何とか説得して、グアム島に行ってきました。でも、戦争の爪あとの残る観光地には連れて行きませんでした。

 特別な体験、人生をも変えてしまう体験、人を撃った体験、戦争だからと言い聞かせて...。そういう強烈な体験をした人にとっての憲法九条、日の丸、君が代...慮ると複雑ですね。
2006年10月05日 00:20
◆◆ 正座を強いました... aostaさんへ

 1961年生まれの私としては、正直言うと、太平洋戦争は、社会科の教科書に出てくる過去の日本の歴史の1ページでした。父も語りたがらなかったし、それは決して身近なものではありませんでした。

 "正座を強いました"・・・・・子供の頃って、何でだかわからないけれど、大きなものに対する畏れというのはありましたね。aostaさんはそんな風ではなくて、正座の意味、わかっていらっしゃったのでしょうけれど。
2006年10月05日 00:25
◆◆ まだ19歳でした... aostaさんへ

 特攻隊・・・子供の僕には"カッコイイ"とだけ写っていました。でも、特攻隊が何者であるかを知るにつけ、心に痛みを感じるようになりました。

 片道の燃料しか給油せず甲板を飛び出していった兵士。その殆どが、所帯をもたない若い兵士。悲しむのは親だけだから? 妻子を未亡人にさせなくて済むから? 子供を父なし子にしなくて済むから?

 親御さんや、aostaさんのお母様やそのご兄弟にしてみたら、ご自身が代わってあげたい思いだったに違いありません。
2006年10月05日 00:30
◆◆ 語れない気持ちの方々の心情も
        察せられます... lavieさんへ

 その通りですね。
 語れない人、語りたくない人、皆さんもう80歳を超えていらっしゃる。

 語れない人、語りたくない人、実際に兵士として戦地に就いた人、近い将来、だ~れもいなくなります。太平洋戦争が日露戦争のようになっていくのでしょうか。

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